1996年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/25 07:12 UTC 版)
「ジョーダン・196」の記事における「1996年シーズン」の解説
ドライバーはエディ・アーバインがフェラーリに移籍し、チーム在籍4年目のルーベンス・バリチェロと、リジェから移籍したマーティン・ブランドルのコンビとなった。 開幕戦オーストラリアGPでは、スタート直後にブランドルのマシンが接触して宙を舞い、モノコックとエンジンの接合部が真っ二つに折れるという大アクシデントに見舞われる。第2戦ブラジルGPではバリチェロが地元で予選2位を獲得し、レースでも表彰台争いを演じたが、スピンによりリタイアした。 その後、12回の入賞(バリチェロ7、ブランドル5)を記録して前年とほぼ同じ22ポイントを獲得し、成績コンストラクターズランキングは5位となった。しかし、この年は表彰台獲得がなく、ウィリアムズ、フェラーリ、ベネトン、マクラーレンといったトップチームに次ぐ「第二集団」の1チームから抜け出すことはできなかった。 年末までには変化の必要性が明白なものになった。バリチェロは新規参入するスチュワート・グランプリに移籍、ブランドルはF1を引退した。チームは翌年に向けてラルフ・シューマッハとジャンカルロ・フィジケラを採用した。
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1996年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/04 22:43 UTC 版)
「ザウバー・C15」の記事における「1996年シーズン」の解説
ドライバーは前年からの継続起用で在籍3年目となるハインツ=ハラルド・フレンツェンと、ベネトンから移籍してきたジョニー・ハーバートの2人。 結果はハーバートが大荒れのモナコグランプリで3位表彰台を獲得する活躍を見せるなどし、前年と同じコンストラクターズランキング7位を得たが、獲得ポイントは下回った。 フレンツェンは活躍が認められ、チャンピオンチームのウィリアムズへの移籍が決まった。
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1996年シーズン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 23:20 UTC 版)
「フェラーリ・F310」の記事における「1996年シーズン」の解説
開幕戦はアーバインが3位表彰台を得たものの、これが彼にとってのシーズン最高位となった。第2戦ブラジルではシューマッハが3位表彰台を得たが、優勝したウィリアムズ・ルノーのデーモン・ヒルに周回遅れにされる屈辱を味わった。第4戦ヨーロッパGPではジャック・ヴィルヌーヴにプレッシャーを与え続け、優勝まであと一歩までたどり着いた。さらに翌週の第5戦、フェラーリの地元サンマリノGPではポールポジションを獲得。ティフォシ達のシューマッハに対する期待も大きくなっていった。次戦のモナコGPでもシューマッハはポールを獲得したが、ウェットコンディションの中、1周目のローズヘアピン後の右カーブで縁石でマシンを滑らせ、クラッシュしてしまった。第7戦スペインGPは再び雨。スタートで出遅れて後方集団の中にいたシューマッハは他を圧倒するスピードで一気にトップに躍り出て、フェラーリ移籍後初勝利をものにした。 しかしその後も駆動系の脆弱さが足枷となった。マシン全体を見直した改良型(F310/2)を投入したカナダGPでは、ギヤボックストラブルが発生。フランスGPではポールポジションを獲得したが、フォーメーションラップでエンジンブローに見舞われスタートできなかった。イギリスGPではギヤボックストラブルが再発。アーバインに至っては第7戦スペインGPから第14戦イタリアGPまでサスペンションやギヤボックスのトラブルで8戦連続リタイアと苦戦が続いた。 終盤戦になるとやや復調し、シューマッハはベルギーGPでウィリアムズのピット作業失策にも助けられて久しぶりの勝利、次のイタリアGPもヒルのリタイアやアレジとのマッチレースを制して2連勝を飾る。その後もポルトガルGPと日本GPでそれぞれ2位フィニッシュ。アーバインもポルトガルGPで5位入賞を果たした。
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