1996年イベントから現在にかけて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 14:57 UTC 版)
「ロイヒ」の記事における「1996年イベントから現在にかけて」の解説
潜水調査でもたらされたロイヒにまつわる大部分の情報は、1996年の噴火に即座に応えてくれた。地震活動を報じられた直後の潜水調査では、海中に放出された鉱物が高い濃度で海水に混じっていて、大きなバクテリアマットがちぎれて欠片になったものが水中に漂っており、視界がとても悪くなっていた。海水中に溶け込んだ栄養塩類を餌とする微生物たちはペレ火口にできた熱水噴出口で既にコロニーを造り始めていた。ペレ火口は、そこで以前にあった熱水噴出領域が陥没してできたものである。これらのバクテリアは新しく形成された熱水噴出口から放出された物質が何であるのかを示すインジケーターになるかもしれない。更に詳しい分析を研究室で行うため、それらは注意深くサンプルされた。OBOは一時的に山頂に設置された。もっと恒久的な観測ができる機器類が設置されるときに取り外しが簡単にできるようにしてあった。 マルチビーム音響測深機を繰り返し使う海底測量が何度も行われた。その成果を利用して作られた海底地形図は、ロイヒ山頂が1996年の陥没前後でどのように変化したかを測るために使われた。熱水プルームの調査ではエネルギーの変化、および、ロイヒから放出されている溶存ミネラルが確認された。ハワイ海底研究所(英語版)(HURL)所有の2,000 m (6,562 ft)まで潜航可能なパイシーズ級深海探査艇パイシーズV(英語版)のおかげで、研究者は噴出口からでてくる熱水および噴出口周辺に住む微生物や熱水鉱床の標本採集が可能だった。 1997年、ハワイ大学の研究グループがOBO(Ocean bottom observatory ,「海底観測機」)をロイヒ海山の頂上に設置した。その水中観測ロボットは、Hawaiʻi Undersea Geological Observatory(「ハワイ海底地質観測機」)のアクロニムを取ってHUGO と渾名が付けられた。HUGOは、海底を這わせた光ケーブルで34 km (21 mi)離れた海岸にある操作表示部とつながっていた。このおかげで、科学者はリアルタイムでロイヒの現況についての震動・化学・画像の各種データを得ることが出来た。この段階で、HUGOは、海底火山についての研究を深めるうえで欠かせない、国際的な海底火山研究所となった。1998年10月、HUGOに電力を送り続け、各データを伝送してきた海底ケーブルが切断されてしまった。このことは、観測所が事実上閉鎖することを意味していた。翌年の1月19日、HUGOはパイシーズVの訪問を受けた。この観測ロボットは、2002年に再び機能不全をきたすまでの4年間にわたってその役割を果たした。 2006年から毎年10月になると、アメリカ国立科学財団から資金提供を受けた(Fe-Oxidizing Microbial Observatory ,FeMO「鉄酸化微生物観測所」)およびMicrobial Observatory Programがロイヒの微生物の調査を目的とした現地への航海を主催してきた。第一回目は、R/V Melvilleおよび同船に支援される潜水艇JASON2を利用しての9月22日から10月9日にかけて行われたものだった。これらの航海では鉄バクテリアをはじめとしたロイヒに生息する多数の化学合成生物について研究をした。ロイヒで広い範囲に分布する熱水噴出孔は高濃度のCO2と鉄イオン、低濃度の硫黄分で特徴づけられる。ロイヒ周辺に現れる、このような傾向はFeOBと呼ばれる鉄酸化細菌にとって生育に最適な環境になる。
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