長井方面
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 03:10 UTC 版)
「京浜急行バス衣笠営業所」の記事における「長井方面」の解説
須5: 横須賀駅 - 横須賀中央駅 - 衣笠十字路 - 武山 - 林 - 長井 須55: 横須賀駅 - 横須賀中央駅 - 衣笠十字路 - 山科台 - 武山 - 林 - 長井 衣5: 衣笠十字路 - 武山 - 林 - 長井 須8: 横須賀駅 - 横須賀中央駅 - 衣笠十字路 - 武山 - 林 - 長井 - 三崎口駅 衣6: 衣笠十字路 → 武山 → 林 → 長井 → 三崎口駅 年譜 1917年(大正6年):平本自動車部の手により横須賀 - 三崎間で乗合自動車の運行開始。詳細は「京浜急行バス三崎営業所#三崎の陸上交通黎明期」を参照 1921年(大正10年): 平本自動車部から三浦自動車に路線が引き継がれる。 1921年: 臨海自動車が新規参入、三浦自動車と競合になる。 1938年(昭和13年)1月1日: 臨海自動車が合併により湘南半島自動車となる。詳細は「京浜急行バス三崎営業所#京浜一元化への道」および「京浜急行バス#湘南半島自動車」を参照 1940年(昭和15年):三浦自動車が湘南半島自動車に合併され、湘南半島自動車単独となる。 1941年(昭和16年)11月21日: 合併により京浜電気鉄道の路線となる。 1942年(昭和17年)5月1日:合併により東京急行電鉄(大東急。現・東急バス)の路線となる。 1948年(昭和23年)6月1日: 京浜急行電鉄に引き渡される。この時点で横須賀 - 長井が既に存在。 1948年7月15日: 横須賀駅乗り入れを再開、衣笠十字路折返し便の衣笠駅乗り入れを再開(しばらく後に中止) 2013年6月1日: 山科台経由を新設定 2016年12月16日: 衣55(衣笠十字路 → 長井)を廃止 横須賀駅から県道26号線を南下、林交叉点を左折して国道134号を南下し、長井へ向かう路線。一部の便はその先の京急線三崎口駅へと足を延ばす。横須賀市中心部と旧長井町のエリアを三崎県道経由で結ぶ路線としてはこちらの方が古く、三崎営業所担当の横須賀三崎線の区間便ともいえる路線である。三崎口駅発着便については三崎営業所との共管である(衣笠営業所の担当は平日と土曜の朝に限られる)。 路線の原型は1917年に平本自動車部によって開設された三崎 - 横須賀線を原型とする。 1921年に三浦自動車株式会社が設立されると同所によって運行されることとなった。その後、梁瀬自動車商会・三浦半島一周自動車の2社が長井エリアの路線バス事業に参入し、激しい旅客獲得運動が繰り広げられていたが、1925年に3社で営業協定を結ぶことで収束していった。 1930年代に入ると、現在の京浜急行電鉄の前身となる湘南電気鉄道が横浜市から浦賀までの鉄道路線を開通させた。同社は三浦半島全域に鉄道路線を敷設することを計画しており、手始めに1929年に三浦半島一周自動車を買収し傘下とした。1941年までには三浦半島を走る路線バス事業者はすべて京浜急行の傘下となった。この出来事によって現在の長井線にあたる部分が概ね形成された。 ちなみに、同年には衣笠から林までの京浜急行電鉄の路線(京急武山線)が計画された。1944年に建設が開始されたものの、資材不足により工事は中断される。終戦後も既存路線の復旧や三浦市への路線の建設を優先させたため、1966年には敷設免許を取り下げた。同線の未成用地の一部は県道26号に転用され、長井線の運行ルートとしても活用されている。 「京浜急行バス三崎営業所#横須賀 - 三崎線」も参照
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