戦前における最盛期
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流行歌の繁栄に伴い、新人歌手の起用も次第に増加してきた。特に昭和10年(1935年)以降、それまでのスターダムに続く歌手が相次いで起用され、「第二世代」とでも呼ぶべき一団を作り出した。この時期は藤山一郎・東海林太郎を頂点にし、ディック・ミネ、伊藤久男、灰田勝彦、霧島昇、淡谷のり子、渡辺はま子、二葉あき子らが外国ポピュラーソング、映画主題歌、軍国歌謡などを歌ってヒットを飛ばした。 デビューした歌手としてコロムビアの霧島昇、ポリドールの上原敏、田端義夫、キングの岡晴夫などがいる。この時代から登場する歌手は、音楽学校出身者が多かった時代、それとは無縁なところから出てきたことになる。これが演歌系歌謡曲歌手の基本となる。彼らはクラシック・洋楽系の先輩歌手たちと共存、もしくは先輩歌手にとって代わり、流行歌の戦前における最盛期を盛り立てることに貢献した。 この時期の3社の陣容を以下に示す。 コロムビアには霧島昇、松平晃、中野忠晴、伊藤久男、ミス・コロムビア、二葉あき子、淡谷のり子、渡辺はま子、李香蘭(山口淑子)がいた(コロムビアは女性歌手が多かった)。 テイチクには藤山一郎、ディック・ミネ、楠木繁夫がいた。(藤山一郎は昭和14年コロムビアへ移籍、楠木繁夫はビクターへ移籍) ポリドールには東海林太郎、上原敏、関種子、青葉笙子、田端義夫がいた。 この時は戦前で最も流行歌が栄えた時期であった。政治的には日中戦争の勃発、治安維持法制定や検閲基準の改訂を初めとする国民統制の強化など暗い話題が相次いでいるが、社会自体にはまだ余裕があり、庶民は華やかな生活を謳歌することが出来た。
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