コロムビアへ移籍
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1939年(昭和14年)にテイチクとの契約期間が満了を迎えた。この時期には古賀とテイチクが方針の違いから対立しており、藤山は古賀とともにコロムビアへ移籍した。移籍後、藤山は『上海夜曲』や服部良一との初のコンビによる『懐かしのボレロ』を吹き込みヒットさせた。1940年には古賀作曲の『なつかしの歌声』、『春よいづこ』がヒットしたが、音楽観の違いから、次第に古賀と距離を置くようになった。 声楽家としては、1939年に日比谷公会堂にて行われた「オール日本新人演奏会10周年記念演奏会」でヴェルディのアリアをバリトン独唱し、1940年にマンフレート・グルリット指揮のベートーヴェン『第九』(NHKラジオ放送)をバリトン独唱して、テノールの美しさを持つバリトン増永丈夫の健在ぶりを示した。増永丈夫の名義では松尾芭蕉の「荒海や佐渡に横たふ天河」という旅の叙情を主題にした国民歌謡『旅愁』の吹き込みを行っている。
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