コロポックル論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/23 03:02 UTC 版)
坪井正五郎は、日本の石器時代、アイヌの祖先の渡来以前の日本に先住民がいたという、モースのいわゆるプレ・アイヌ説を継承し、アイヌの祖先がその先住民を北方へ駆逐したという人種交代説を唱えた。彼はアイヌの伝承に着目し、それに現れるコロボックルは現在の大和民族ともアイヌ民族とも異なる民族で、彼らこそが日本の先住民であると主張した。 1886年、渡瀬庄三郎が『人類学会報告』創刊号にて札幌周辺に見られる竪穴住居の跡とみられるものがコロボックルの手によって作られたものであり、アイヌ人の前にコロボックルがかの地に居住していた証拠であるという旨の発表を行い、それに坪井正五郎が『人類学会報告』第9号にて大筋賛成という意見の表明を行った。しかし『人類学会報告』9号にはさらに白井光太郎による匿名での坪井への反論が掲載され以降、小金井良精・浜田耕作・佐藤伝蔵・鳥居龍蔵・喜田貞吉など多くの研究家がこの議論に参加した。結局この論争は1913年、坪井がロシアのペテルスブルクで客死するまで続く。 現在はアイヌ人の祖先を日本人の始祖の一つとする説が流布されており、コロボックル説は一般的に受け入れられていない。2008年1月18日の産経新聞では「アイヌは縄文人の血を最も直接的に引き継いでいるとみられている。」としている。朝日新聞社のホームページasahi.com内の記事「街の記憶」では、「アイヌや沖縄の人たちは、縄文人の血を濃く受け継ぐ民族だといわれている。」とし、また同社の2007年06月9日の記事において「日本人は(中略)縄文人からの遺伝形質は北海道のアイヌを除けば薄れてきたとされている。」と報道している。 なお、2006年の第169回国会で可決された「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議案」は「アイヌの人々を日本列島北部周辺、とりわけ北海道における先住民である」とした決議で、過去日本列島において縄文式土器を使っていた人々の子孫がアイヌ人であるという説には言及していない。
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