コロポックル伝説と千島アイヌ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 13:52 UTC 版)
「千島アイヌ」の記事における「コロポックル伝説と千島アイヌ」の解説
詳細は「コロポックル」を参照 アイヌ民族伝承の一つとして知られるコロポックㇽ伝説のモチーフが千島アイヌであった、とする説が存在する。 一般的に「アイヌ民族の小人伝承」と言うと「蕗の葉の下の人(korpokkur)」が想像されるが、実は前近代の記録にはアイヌ民族の伝える小人を「トイチセコッチャカムイ(トイコイカムイ、トイチセウンクルとも。竪穴住居に住む人、の意)」或いは「クルムセ(千島の人、の意)」という名称でも記録していた。 例えば、17世紀の『勢州船北海漂着記』には以下のように記録されている。 蝦夷人物語申し候は、小人島より蝦夷へたびたび土を盗み参り候、おどし候へば、そのまま隠れ、船共々見え申さず候由、蝦夷より小人島まで、船路百里も御座候由、右の土を盗みて鍋にいたし候由、もつともせいちいさくして、小人島には鷲多く御座候て、……。 — 松阪七郎兵衛ほか『勢州船北海漂着記』(1662年) この記述に見られるような、古い時代に記録された小人の特徴を列挙すると、 小人と北海道アイヌはコミュニケーションを欠く(=両者は沈黙交易を行う) 小人は土鍋製作用の土を取って帰る(=小人は土器製作を行う) 小人の島にはオオワシが多い 小人は島に住む、船でやってくる となり、これらの特徴は全て千島アイヌの特徴と一致する。 更に注目されるのは、樺太アイヌ・北海道アイヌ・南千島アイヌといったほぼ全ての地域で伝承される「小人伝説」が、唯一千島アイヌの間でのみ知られていないという点である。 以上の点を踏まえて、考古学者の瀬川拓郎はアイヌの小人伝説について「……15世紀に北千島へ進出したアイヌは、その奇妙な習俗によって異人され、15〜16世紀には道東アイヌのあいだで小人として語られることになった」のであり、「19世紀ころには、様々なモティーフを取り込み、他の伝説とも融合して、もはや北千島アイヌの現実の習俗を反映した伝説であったとは思われないほど、小人伝説はアイヌ世界の物語として『成長』を遂げていた」と纏めている。
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