コロボリー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/10 05:31 UTC 版)
1833年1月、キングジョージ湾 (en) 岸に住む、白人移民と友好的なヌンガー族のGyallipertとManyatがパースを訪れた。移民のリチャード・デイルとジョージ・スミスは、彼らと当地のヌンガー族とが会う機会を設けた。それは、キングジョージ湾でのような良好な関係をスワン川植民地でも築くきっかけになることを期待したものだった。同月26日、モンガー湖のほとりでGyallipertとManyatは、正武装で身を固めた10人の集団を率いたイェーガンと面会した。彼らは武器を交換し、コロボリー (en) の儀礼を通じてお互いの言葉が通じ合うことを確認した。槍投げの競技が催され、Gyallipertと競ったイェーガンの投擲は25mの距離から見事に的を射止めた。 GyallipertとManyatは暫くの間パースに逗留した。3月3日には許可を得て、イェーガンたちはふたたびコロボリーの儀礼を行った。この時にはポストオフィス公園が会場となった。朝の薄明かりの中、パースとキングジョージ湾それぞれのヌンガーは対面し、白いペイントを施した身体を躍動させ、カンガルー猟を象徴する踊りなどを舞った。その模様を取材した『ウエスト・オーストラリアン(The West Australian)』『パース・ガゼット(The Perth Gazette)』両紙は、「イェーガンは儀式を主催し、その振る舞いは限りない優美さと威厳に満ちていた」と伝えた。
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