コロムビア以前とは? わかりやすく解説

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コロムビア以前

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:52 UTC 版)

松平晃」の記事における「コロムビア以前」の解説

1911年明治44年6月26日佐賀県佐賀市福田家に「福田恒治」(本名)として生まれる。 小学校の頃から歌が好きで、佐賀中学卒業後「音楽身を立ててはどうか」と兄に勧められたこともあって音楽の道を志す。しかし旧家出身であったこともあって父親猛烈に反対されてしまい、兄の必死とりなしでようやく許可がおり、単身上京1930年昭和5年)の春、武蔵野音楽学校(現:武蔵野音楽大学)に入学1931年昭和6年)、東京音楽学校(現:東京芸術大学師範科に転学苦学しながら声楽基礎学んだ。だが実家借金連帯保証人となっていたあおりを受けて邸宅田畑手放す不運にみまわれた上、病身の兄の治療費捻出する必要があったため、仕送り途絶えてしまった。苦境立った福田は、同校先輩増永丈夫相談する増永丈夫声楽本科在学中で、将来嘱望されていた。また、藤山一郎芸名で、古賀政男作曲した一連のヒット曲古賀メロディー)を歌い一世風靡させ、流行歌手として高い評価得ていた。増永は、ニットーレコードで「藤井竜男名義でもレコード吹込みをしていたが、停学処分によって吹込みができなくなっていたことから、代わりとして福田をニットーレコードに紹介したのであるテストでは、増永ピアノ伴奏受け持っている。 1932年昭和7年)に「大川静夫」と名乗り、「夏は朗らか」「讃えよ若き日」でレコードデビュー。「夏は朗らか」は江口夜詩作曲。その甘い歌声はたちまち人気となり、福田青年は「池上利夫」「松平不二男」「小川文夫」などの変名使いニットーの他ポリドールキングタイヘイテイチク、パルロフォンでアルバイト吹込み続けた同年11月にはポリドールから新譜発売された「忘られぬ花」がヒット。このときは池上利夫の名前を使っている。 福田青年は、学生歌手として活躍するが、当時使用した変名ニットーが「大川静夫」「松平利夫」(最末期のみ)、ポリドールが「池上利夫」、キングが「松平不二男」、タイヘイが「小川文夫」(同時期に楠木繁夫使用)、テイチクが「松平不二夫」、パルロフォンが「松平不二男」「柳沢和彦であった

※この「コロムビア以前」の解説は、「松平晃」の解説の一部です。
「コロムビア以前」を含む「松平晃」の記事については、「松平晃」の概要を参照ください。

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