コロムビア時代とは? わかりやすく解説

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コロムビア時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 05:02 UTC 版)

ちあきなおみ」の記事における「コロムビア時代」の解説

日本コロムビアオーディションを受け保留となり、作曲家鈴木淳の元で1年4ヶ月レッスンを受ける。デビュー前橋幸夫こまどり姉妹前座歌手務めていた。1969年21歳の時「雨に濡れた慕情」で歌手デビューした。デビュー当時キャッチフレーズは「苗字がなくて名前がふたつ」「魅惑のハスキーボイン」。芸名は、当時フジテレビプロデューサー千秋予四夫(せんしゅう よしお)の姓を「ちあき」と読ませ、坂本龍馬の諱(本名)の「直柔」からなおみとした。 作詞家吉田旺は、デビュー曲のほかに大ヒットとなった喝采」「紅とんぼ」「冬隣」など数々の曲を作り上げてきた。その後もちあきと親交があるという。 1970年に「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」がヒットし人気歌手となる。同年、「四つのお願い」で『第21回NHK紅白歌合戦』に初出場以降1977年第28回まで8回連続出場した。 「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」の頃は、いわゆるお色気アイドル路線にて活躍した。『元祖どっきりカメラ』や『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』などのバラエティー番組出演し歌手ありながら体当たり仕事こなした1972年代表曲となる「喝采」(吉田旺作詞中村泰士作曲)が第14回日本レコード大賞受賞し、その年の年末から翌年にかけてオリコン集計80万枚売り上げる大ヒットとなる。この曲は当時、ちあきの実体験元にして作詞されたという触込みプロモーションされたが、実は全くのフィクションであった。実際に前座歌手時代に兄のように慕っていた若手役者急死した体験持ち、それと歌詞の内容が偶然似ていたために「実体験」とすることでプロモーション活かすという戦略をとったといわれている。「喝采」、「劇場」、「夜間飛行」などの楽曲は、歌詞設定内容からドラマチック歌謡」といわれた。 レコード大賞受賞後も、1973年に「夜間飛行」、1974年に「円舞曲」などのポップスヒット曲発表する一方演歌では船村演歌ならやってみたいと、1975年に「さだめ川」、1976年に「酒場川」「矢切の渡し」(「酒場川」のB面曲として発表)」、1988年には「紅とんぼ」などの作曲家船村徹作品多く歌ったまた、ニューミュージックアーティストから楽曲提供を受け、1977年中島みゆきの「ルージュ」、友川かずきの「夜へ急ぐ人」、1978年河島英五の「あまぐも」、1988年には飛鳥涼の「伝わりますか」などをレコーディングした。「夜へ急ぐ人」は『第28回NHK紅白歌合戦』でも歌われ紅白舞台でのちあきの鬼気迫るパフォーマンス視聴者度肝抜き白組司会山川静夫は「なんとも気持ちの悪い歌ですねぇ〜」と発言するなど、話題になった1976年2月テレビドラマ大都会 闘いの日々』の第8話として「俺の愛したちあきなおみ」(脚本倉本聰監督村川透)というサブタイトル作品放映された。実在する現役歌手サブタイトルフィーチャーされること自体異例であり、ちあきの代表曲喝采」がドラマの内容深く関わっているものであったバラエティー番組への出演続け演芸番組では美空ひばり物まね本人の前で披露しひばりの爆笑誘ったり、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』では萩本欽一視聴者からの葉書によるコント演じるなど多才ぶりを見せた

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コロムビア時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 01:40 UTC 版)

ジュディ・オング」の記事における「コロムビア時代」の解説

1961年日米合作映画大津波』(原題THE BIG WAVE原作Pearl S. Buck)にて映画デビュー。のちテレビドラマ三太物語』『明日家族』などに出演した1964年フジテレビ開局5周年記念ドラマおねえさん』に出演した際、番組を見終えた石原裕次郎から「キングコング」という渾名つけられる1966年日本コロムビアより「星と恋したい」で歌手デビュー『サイボーグ009』・『サイボーグ009怪獣戦争』の劇場用映画二作で003役(初代)として声の出演1967年に「たそがれ赤い月」がスマッシュヒットする。これを含めてコロムビア時代(初期中期)は市川昭介が手がけた「夕日の恋」、「悲しみ十字架」、「さような17才」、「初めての別れ」、「ひらがなふたつ」など演歌調の曲が多かった同時期に涙くんさよなら』、『青春ア・ゴーゴー』、『帰ってきた』などの多く映画テレビドラマS・Hは恋のイニシァル』(共演伊東ゆかり大原麗子布施明1969年)などにも出演し人気得たまた、1970年代、『おしどり右京捕物車』、『賞金稼ぎ』、『必殺からくり人』、『新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅』、『江戸を斬るIV』など多く時代劇出演している。 この頃以降筒美京平都倉俊一が手がけたポップス調の曲も出すようになった1972年日中国交正常化機に日本帰化

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コロムビア時代(青木香織)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 15:02 UTC 版)

山口かおる」の記事における「コロムビア時代(青木香織)」の解説

コロムビア入社後デビュー向けてボイストレーニング重ね清純派歌手として本名の「青木香織名義で、シングル速達」でデビューした当日赤坂警察署一日警察署長として秋の交通安全運動行事参加、そしてオープンカー赤坂青山目抜き通りパレードという、珍しいデビュー第一歩踏み出したその後、「夢色酒」「夢子酒場」「雨晴旅情」など演歌歌手としても脚光を浴びた

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