コロムビア移籍とは? わかりやすく解説

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コロムビア移籍

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 16:27 UTC 版)

渡辺はま子」の記事における「コロムビア移籍」の解説

1937年昭和12年4月コロムビア移籍翌年皮肉にも流行歌浄化統制され国民歌謡の「愛国の花」が、渡邊にとっての移籍後ヒット曲第一号となる。この頃から、戦時下の上海など戦地へ慰問積極的に行うようになり、「支那の夜」「広東ブルース」などの大陸題材にした曲目徐々に増え人々からは『チャイナ・メロディーの女王』『チャイナソングのおハマさん』と呼ばれ支持された。そのため、慰問先の満州から松平晃持ち帰った何日君再来」(訳詞長田恒雄)も渡邊唄いレコード日本発売されることになった。 さらに、当時テイチク専属であった満州大陸女優李香蘭主演大ヒット映画主題歌コロムビアから国内日本語発売する際には、渡邊レコーディングした。「いとしあの星」「蘇州夜曲」といった曲は渡邊両者持ち歌として大ヒット記録している。 1941年昭和16年)、渡邊新聞掲載され記事感動し、是非とも歌謡曲としてレコード化したいと台湾総督府申し入れレコード・リリースした「サヨンの鐘」もヒットその後も「風は海から」「花白の歌」など、日本トップ歌手して活躍スクリーンにおいても既に1937年昭和12年)に新興映画庭の千草』に主演していた他、東宝映画ロッパ歌の都へ行く』『ロッパ新婚旅行』『エノケンの孫悟空』などに出演している。特に『ロッパ新婚旅行』では、声楽家役として出演し、クラシックの歌曲原語高らかに歌い上げているのは、元音楽教師面目躍如であった

※この「コロムビア移籍」の解説は、「渡辺はま子」の解説の一部です。
「コロムビア移籍」を含む「渡辺はま子」の記事については、「渡辺はま子」の概要を参照ください。

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