コロムビア時代後半とは? わかりやすく解説

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コロムビア時代後半(1936〜40年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:52 UTC 版)

松平晃」の記事における「コロムビア時代後半(193640年)」の解説

19361938年昭和1113年)にかけて、東海林太郎上原敏ポリドール道中物、藤山一郎ディック・ミネ楠木繁夫らが歌う古賀メロディーテイチク江口夜詩松平晃コロムビア佐々木俊一台頭するビクター激しヒット競争展開した昭和13年霧島昇ミス・コロムビアが歌う「旅の夜風」が大ヒットし、コロムビア映画主題歌全盛期迎える。1940年昭和15年)からは古賀メロディー第三期黄金時代迎え松平晃人気翳り見えてきた。 松平は、淡谷のり子の「別れのブルース」のB面「泪のタンゴ」など甘い歌声披露したが、昭和12年10月新譜発売された「露営の歌」が大ヒットしたことにより、甘い抒情的なバリトンが得意であった松平は、戦時歌謡吹込み多くなる。またこの頃より戦地慰問訪れたり、古川緑波率いる「ロッパ一座」の寸劇出演したり、舞台にも活躍する。また新聞記事感動して「石と兵隊」を自ら作曲したり、ポピュラーソング夜の雨」を自ら歌詞付けてレコーディングしたりしてもいる。だが、霧島昇台頭により次第松平人気翳り見え1938年昭和13年以降スターダムからの凋落見せ始める。 1938年昭和13年)、伊藤久男赤坂小梅渡辺はま子服部良一らと中国大陸慰問した際、現地流行していた「何日君再来」を採譜して持ち帰り、自らレコーディング。だが、コロムビア方針渡辺はま子盤が発売され松平晃吹込みレコード発売されなかった。さらにそこに打撃与えたのが1939年昭和14年4月藤山一郎テイチクからコロムビアへの移籍である。松平は、翌昭和15年1940年)、「幻の故郷」を最後に専属契約解消コロムビア去った

※この「コロムビア時代後半(1936〜40年)」の解説は、「松平晃」の解説の一部です。
「コロムビア時代後半(1936〜40年)」を含む「松平晃」の記事については、「松平晃」の概要を参照ください。

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