コロムビア時代前半とは? わかりやすく解説

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コロムビア時代前半(1933〜36年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 22:52 UTC 版)

松平晃」の記事における「コロムビア時代前半(1933〜36年)」の解説

コロムビアでの吹込み1933年昭和8年3月新譜かなしき夜」「港の」からである。いずれも江口夜詩作曲コロムビア古賀政男作曲の「サーカスの唄」の吹込み藤山一郎予定していた。だが、藤山一郎ビクターに入社。そこで、コロムビアは、松平晃抜擢し吹込ませた。同社藤山一郎のその対抗馬ということ後輩である松平期待したのである。その期待応える形で松平古賀政男作曲・「サーカスの唄」にて大ヒット飛ばし一気スターダム地位上りつめる同年11月松平東京音楽学校中退したレコード吹込み学校当局問題になっており、流行歌手の途を選択した。翌1934年昭和9年)から正式に松平晃」として専属契約を結ぶこととなったコロムビアは、すでに江口夜詩松平晃コンビに力をいれており、同年4月古賀テイチク移籍した後は、コロムビア看板歌手になる。同年1月新譜希望首途」、2月新譜急げ幌馬車」、11月新譜曠野を行く」がヒットしている。殊に急げ幌馬車」は旧満州舞台として放浪の旅人の姿やその恋愛模様描いた曠野物」・「大陸歌謡ブーム火付け役となり、松平自身青春歌謡併せ大いに得意とした。但し「希望首途」は実際に発売当時ヒット曲ではなく当時レコード会社新聞紙上に広告打って大々的PRしたため、後世懐メロ本で「ヒット曲扱いされたとする説もある。 こうして中野忠晴並びコロムビア看板歌手となった松平は、1934年昭和9年)から1936年昭和11年)にかけて、ビクターテイチク藤山一郎ポリドール東海林太郎並び流行歌一時代築き上げることになる。「曠野を行く」で組んだ豆千代とのデュエット夕日落ちて」、松竹映画主題歌の「人妻椿」などの大ヒット続け一方で、甘いマスク買われスクリーンにも活躍日活映画花嫁日記」をはじめ、新興キネマ初恋日記」、松竹映画純情二重奏」、東宝映画歌えば天国」と数多く映画にも出演している。 しかし、私生活殊に恋愛関係では一途すぎる性格災いしてトラブル相次いだ。たとえば「花嫁日記」で共演した市川春代思いを寄せたが、周囲反対に嫌気をさして自殺未遂起こしている。また、主演した初恋日記」では相手役伏見信子婚約までしたが、スター同士のためお互いの生活にすれ違いが多いことや、松平との性格の不一致などのもあり、1年足らず婚約破棄してしまったことなどがそれである。

※この「コロムビア時代前半(1933〜36年)」の解説は、「松平晃」の解説の一部です。
「コロムビア時代前半(1933〜36年)」を含む「松平晃」の記事については、「松平晃」の概要を参照ください。

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