中央空軍時代とは? わかりやすく解説

中央空軍時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 19:02 UTC 版)

崔用徳」の記事における「中央空軍時代」の解説

劉沛泉と陳棲霞瓦解工作によって、1927年初めに国民革命軍上海到達した際、器材人員など全て接収され同年3月成立した国民革命軍東路軍航空司令部飛行員となる。同年5月東路軍航空司令部解消され南京国民革命軍総司令部航空処(処長黄秉衡)が成立する航空第1隊(隊長張維副隊長10月20日南京軍事委員会は唐生智討伐のため、李宗仁西征軍総指揮任命して第7軍などの部隊を向かわせた。航空処も曹宝清処長、劉国楨教官飛行員の劉芳秀、崔、天民瑞彬を派遣して水上機隊を編成した水上機隊は西征軍同行し陣地偵察武漢上空での伝単散布行った1928年2月水上機隊(隊長:劉国楨)副隊長1929年3月8日張維劉義曾、関双銓と共に武漢民用航空分有公司ライアン ブロアム旅客機漢口號」 を操縦して湖北省河南省山西省長距離飛行行った同年5月南京航空司令部設立時には水上機隊(隊長:耿煜曾、副隊長:田曦)飛行であったが、5月21日隊長の耿煜曾が殉職する副隊長就任同年11月反乱した張発奎部隊討伐参加中原大戦勃発後の1930年民国19年10月24日広東航空学校人員編成され軍政航空第4隊(隊長:楊官宇)副隊長碭山県帰徳飛行場駐留し蔣介石サイドとして参加。しかし翌1931年5月上官の楊官宇が陳済棠樹立した広州国民政府に従うと、崔も劉炯光 ら第4隊隊員とともにその私設空軍である広東空軍参加したが、満州事変勃発後、広東空軍離脱し再び南京国民政府帰順同年10月李青天韓国独立軍結成して崔を航空部長に任命したが、この指令が崔に届くことは無かった 中央空軍帰還後、第4隊は楊鶴霄隊長として立てなおされており、再び副隊長の職に就いた思われる1931年頃、蒋介石自家用飛行機人員候補孫基宗推薦同年12月末に休暇利用して南京から武漢方面転任その道中上海を訪れた翌年1月には、元東北空軍高志航ら2名が第4隊に補充される第一次上海事変では、漢口において王家飛行場守備していた。日本租界配備されていたサーチライト強力な光を照射して飛行員の目を晦ますため脅威であった。また隊員誰もが自機離陸する前に租界から砲撃されることを知っていた。崔は「あいつらサーチライト使って風向きに応じて、我々が離着陸できるようになれば面白い」といった冗談言って部隊憂鬱な空気打破した航空署は各航空隊から抽出した30機ほどの飛行機南京防空充てることにし、2月21日午後から崔も龍祚炎らと共に杭州駐留した1932年航空第2隊と共同共産ゲリラ討伐参加同年冬、馬鞍山及び洪洞共産ゲリラ討伐完了すると剿匪空軍再編され、崔は中央航空学校高級班を受けることになり、翌年卒業そのまま飛行教官として同校留まり後進4期5期生)の育成に力を注いだ1934年8月13日校長周至柔蒋介石向けて「崔滄石など4人の韓籍飛行員は忠実に服務中ですから心配ありません」との電報宛てている。 後に漢口において中央航校陸空連絡班の創立携わっていた。陸空連絡班は剿匪における陸軍空軍調整訓練着眼したもので、崔はこれらのための施設企画講習実習一手創立した1935年5月中央各師から一人ずつ選抜され上尉上の軍官53名が陸空連絡訓練第一期として入学。続く二期生62名が入学した。これらの成果として各軍師団迅速確実な陸空連絡専門員配置されるようになったそれだけでなく剿匪の軍事観を変え日中戦争でも成果があった。 1935年春、南昌に老営房飛行場代わる大型飛行場として南昌青雲譜飛行場中国語版)(三家店飛機場)が新設されると、崔は同飛機場站長に就任同年6月飛行隊拠点となりうる各主要都市大型飛行場を「第三線飛機場」として、周辺エリア小型飛行場の地勤業務統括させる「航空総站」の制度置かれたことを受け、空軍南昌航空総站長に就任する同年11月行われた演習西軍航空大隊隊長劉芳秀)副隊長。 両広事変勃発後の1936年7月2日飛行機青雲譜飛行場投降して来た黄志剛ら3名の広東空軍パイロット保護すると、教導総隊隊長毛邦初引き合わせ、また南昌市内のにて昼食ふるまった日中戦争勃発後、同飛機場南京・筧とともに中国空軍4大隊をはじめ戦闘機隊の重要拠点となり、器材燃料、弾の運輸設備補修人員への給養の他に、戦前から招聘されていた南昌機制公司イタリア軍顧問団技術者をはじめ、第14国際志願大隊ソ連空軍志願隊要求にも対応するという激務強いられたまた、この頃から独立運動にも再び積極的になり、大韓民国臨時政府本部のある杭州にて閔弼鎬(朝鮮語版)や李範奭接触運動支援している。 1938年5月1日中央訓練委員会陸空連絡訓練班(主任朱暉日(中国語版))副主任1940年7月から1942年7月まで中国陸軍大学別班第5期在学

※この「中央空軍時代」の解説は、「崔用徳」の解説の一部です。
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