長距離飛行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 03:51 UTC 版)
1943年(昭和18年)、第二次世界大戦中で海上交通が遮断状態にあるドイツへの戦時連絡飛行(セ号飛行)に、キ77の2号機が用いられることになった。日本とは中立関係にあったソ連を刺激しないために、昭南(シンガポール)経由の南方迂回航路をとることが決まった。6月30日、長友飛行士ら5名の朝日新聞航空部クルーと陸軍将校3人を乗せた2号機は福生飛行場を離陸、7月7日に中継地の昭南から一路ドイツ領を目指したが、途中で消息不明となってしまった。連合軍による撃墜記録も無いため、消息不明の原因は全くわかっていない。中継地から離陸する映像が残っている。 1号機は、1944年(昭和19年)7月2日、小俣寿雄機長、田中久義操縦士 以下計6名搭乗により、新京 - ハルビン - 白城子の三角コースを、57時間12分で16,435km飛行し、周回航続距離の世界記録並びに速度国際記録を達成している。ただし、戦時下の事であったため、国際航空連盟(FAI)未公認の記録となった。
※この「長距離飛行」の解説は、「キ77 (航空機)」の解説の一部です。
「長距離飛行」を含む「キ77 (航空機)」の記事については、「キ77 (航空機)」の概要を参照ください。
「長距離飛行」の例文・使い方・用例・文例
- 長距離飛行のページへのリンク