上山競馬場とは? わかりやすく解説

上山競馬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/12 04:40 UTC 版)

上山競馬場
  • 上山競馬場 直線
  • スタートゲート
施設情報
通称・愛称 かみのやま競馬
所在地 山形県上山市金瓶字湯坂山20-1
座標 北緯38度10分25秒 東経140度17分34.4秒 / 北緯38.17361度 東経140.292889度 / 38.17361; 140.292889座標: 北緯38度10分25秒 東経140度17分34.4秒 / 北緯38.17361度 東経140.292889度 / 38.17361; 140.292889
開場 1935年[1]
閉場 2003年11月11日
取り壊し 蔵王フロンティア工業団地
所有者 上山市
管理・運用者 上山市
収容能力 7,000人
コース
周回 右回り
馬場 ダート
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上山競馬場(かみのやまけいばじょう、Kaminoyama Race Course)とは、かつて山形県上山市に存在した地方競馬競馬場である。

走路の内側には交通公園があり、ポニーランドやソフトボール場、日本庭園を設置[2]。競馬非開催日には山形県内の幼児や小学生の遠足、交通ルール学習に利用されていた[2]

本項では現在の施設である場外勝馬投票券発売所ニュートラックかみのやまについても記述する。

歴史

上山市は、1956年の豪雨で総額3億2千万円もの被害を受け、この災害復興のために市の運営による競馬1958年より開催されることになった。この上山競馬場によって、上山市の財政は潤い、とくにバブル景気1980年代には最盛期を迎えた。

しかしながら、バブル崩壊後、同競馬場を運営してきた上山市は地元温泉地域などの観光産業の不振などから歳入減に悩まされ財政的な危機に立たされる状況となり、かつ競馬場自体の赤字もその状況を圧迫、存続困難な状況になった。規模を縮小して開催するも耐え切れず、ついに2003年11月をもって廃止。最後の競走は山形記念樹氷賞であった。

跡地は工業団地として、2013年までに3社へ分譲された[3]。本馬場跡には東和薬品の工場が建設されている[4]

特徴

経営改善策の一つとして、日本で初めて個人協賛競走(個人1万円、団体、法人は3万円を支払えば競走名の冠をつけることが可能)を実施したことで話題になった。

かつては金寿賞(サラ系)、銀寿賞(アラ系)という10歳馬限定の特別競走を年末に行っていた事でも知られる。この競走では出走条件について「10歳」という年齢のみで競走馬のランクは出走資格に影響しないという特殊な設定がされていた。当時の上山競馬は競走馬に10歳定年制を敷いていたため、年末の最終開催に行われる10歳馬限定戦は、自動的に出走全馬の引退レースとなるというものであった。(当時の年齢表記は数え年)

冬期休催があり1月~3月は休みとなった。主に開催は毎週日曜~火曜の3日であり、JRA福島競馬場開催中はハシゴして上山に訪れる人も多かった。上山市内、山形駅はもとより、仙台駅からも無料送迎バスが発着しており、公営競技や場外馬券売り場がない宮城県のファンも非常に多かった。

上山競馬場を舞台にした映画には『喜劇 競馬必勝法 一発勝負』(谷啓主演、1968年公開)や『流★星』(緒形拳主演、1999年公開)がある。

場内には喜劇俳優伴淳三郎が経営するカレー屋があり、本人も度々訪れては客と歓談することがあった。

年表

以下の内容は『施設概要[1]』『市報(2003年12月1日号)』による。

  • 1933年(昭和8年): 競馬倶楽部誕生
  • 1935年(昭和10年): 第1回競馬開催
  • 1939年(昭和14年): 軍馬資源保護法の発令により、鍛錬馬競走へ移行。
  • 1944年(昭和19年): 鍛錬馬競走が廃止される。
  • 1947年(昭和22年): 競馬倶楽部復活(戦後初の競馬開催)
  • 1948年(昭和23年): 新競馬法公布により、初の山形県営競馬開催。
  • 1956年(昭和31年): 上山市営競馬が開催される。
  • 1958年(昭和33年): 競馬開催が山形県から上山市に移管される
  • 1965年(昭和40年):競馬事務所新設
  • 1971年(昭和46年): スタンド改築が完成(地下1階、地上3階建て、鉄筋コンクリート一部鉄鋼造り、5000人収容)、連勝単勝式(馬単)投票券を廃止。
  • 1972年(昭和47年): 速歩競走を廃止、競馬場の西廻りバイパスの新設。
  • 1973年(昭和48年): 第1回アラブチャンピオン競走(東北アラブチャンピオン)の開始。
  • 1975年(昭和50年):内厩舎団地完成
  • 1976年(昭和51年): 走路拡張(1周1050メートル、幅員20メートル)、電光着順表示板の設置。
  • 1978年(昭和53年): トータリゼータシステム導入、オッズ表示装置新設。第1回東北優駿(東北ダービー)開催。
  • 1980年(昭和55年): 3階指定席が、冷暖房完備となる。前売り発売の実施。
  • 1981年(昭和56年): スタンド増築、併せて7000人が収容可能に。第1回レディースカップ(国際女性騎手招待競走)が開催。
  • 1982年(昭和57年): 払戻業務が電算化に。国際科学技術博覧会協賛特別競馬が開始。
  • 1984年(昭和59年): 東北地区三県相互場外発売、第1回中央競馬騎手招待競走を実施。
  • 1986年(昭和61年): 「施設改善特別競馬」開催。2人の女性騎手(和田美由紀・小田嶋志生子)誕生。
  • 1987年(昭和62年): 第1回北日本オークスの開催。
  • 1988年(昭和63年): オールジャパンレディースチャンピオンシップ競走の開催。パトロールテレビカメラ設置。
  • 1989年(平成元年): インターナショナルレディースジョッキーズシリーズの開催。
  • 1990年(平成2年): 着順表示装置塔の設置。
  • 1991年(平成3年): ニュートラック松山新設。自動払戻機の導入。
  • 1992年(平成4年): マークシート発売機の導入。
  • 1993年(平成5年): 大型映像装置、厩肥センター(E-UP SUN)の新設。
  • 1994年(平成6年): 騎手調整ルーム、採尿所の新設。
  • 1998年(平成10年):第1回さくらんぼ記念競走実施(武豊騎手が来市、初参戦)
  • 2000年(平成12年):ニュートラックいいたてがオープン
  • 2003年(平成15年)11月11日:最終日ラストラン、閉場。

コース概要

  • ダート右回り 1周1050m・幅員20m
  • 直線(4コーナーから決勝線まで) 200m
  • 施行可能距離 750m,800m,1250m, 1300m, 1500m, 1700m, 1800m, 2300m
  • 出走可能頭数(フルゲート) 12頭

ニュートラックかみのやま

ニュートラックかみのやま
J-PLACEかみのやま
基本情報
所在地 山形県上山市金瓶字山ノ上134
開設日 2003年
2013年3月4日移転
施設設置者 株式会社ニュートラックかみのやま
管理施行者 特別区競馬組合
岩手県競馬組合
発売単位 100円単位
開催日営業時間 10:00-
ナイター開催時は14:45-
最寄駅 茂吉記念館前駅
最寄IC 山形上山IC
駐車場 350台(無料)
外部リンク ニュートラックかみのやま
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廃止直後から跡地の一角では特別区競馬組合および岩手県競馬組合が管理する場外勝馬投票券発売所ニュートラックかみのやまとして、南関東4競馬浦和船橋大井川崎の4競馬場)と盛岡水沢の2競馬場も発売している。ただし岩手競馬は発売しない日もある[5]。当初はスタンドの馬券発売設備をそのまま活用していた[4]が、2013年3月4日より旧本馬場北西側の内厩舎跡に新築した2階建ての施設で営業している[5]

上山競馬に関連する場外としては他にもニュートラック松山(山形県酒田市)、ニュートラックいいたて福島県飯舘村)がある。いずれも施設所有は上山市が業務委託のため全額出資した株式会社ニュートラックかみのやまであり、競馬の場外発売については各競馬主催者に施設を貸し出す形で行われている。これらもその頃から地域間場外としても使用されており、競馬を開催していた頃から本場開催を上回る収益を上げていた。なお2014年4月20日ニュートラック福島(福島県福島市)を開設するが、これは競輪場外車券売場の施設を間借りする形になる。

競馬場廃止後も場外馬券売場としての機能拡充は進めており、2009年には馬券発売システムを更新し枠番連勝単式・3連勝単式の発売を開始している。

2024年3月17日より「J-PLACEかみのやま」を開設した。発売日は全ての日曜日、南関東競馬とJRAの開催が重複する日及びホープフルステークス・東西金杯当日である[6]

発売する馬券の種類

上山競馬場開催時

○…発売 ×…発売なし

単勝 複勝 枠番連複 枠番連単 馬番連複 馬番連単 ワイド 3連複 3連単
× ×
ニュートラックかみのやま

岩手競馬・南関東公営競馬の全種類を発売。ただし、かつては岩手競馬は発売しない日もあった。

アクセス

主な競走(開催当時)

主な所属馬・出身馬

主な所属騎手

登場する作品

脚注

注釈

  1. ^ 来場者数は2万人であり、レース中に犯人と大門軍団のカーアクションがあったが、その前後に銃撃戦があった(来場者数は同作の次回予告より)。なお、レースそのものは白旗を持った発走委員がコース上で旗を振ったため途中で競走中止となった[8]

出典

  1. ^ a b 「施設概要」p3『上山競馬場沿革』
  2. ^ a b 「施設概要」p5
  3. ^ プレス発表「蔵王フロンティア工業団地への企業誘致について」” (PDF). 上山市 (2013年3月1日). 2013年3月18日閲覧。
  4. ^ a b “県内ニュース「ニュートラックかみのやま、敷地利用事業者に東和薬品」” (日本語). 山形新聞. (2013年2月9日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/20130501170558/http://www.yamagata-np.jp/news/201302/09/kj_2013020900300.php 2015年7月23日閲覧。 
  5. ^ a b 県内ニュース「『ニュートラックかみのやま』新施設で営業開始」”. 山形新聞 (2013年3月5日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月23日閲覧。
  6. ^ J-PLACE かみのやま・松山の開設について(特別区競馬組合)地方競馬全国協会、2024年3月8日配信・閲覧
  7. ^ a b c 「施設概要」p7『上山温泉郷』
  8. ^ 白旗(競馬用語辞典)”. 日本中央競馬会. 2023年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月10日閲覧。 “競馬用語には「カンパイ」もあるが、こちらは「スタートやり直し」のことを指す。”
  9. ^ 石原プロモーションDVD&Blu-ray公式: “「西部警察 40th Anniversary」 Vol.1〜6 全ての商品の在庫が整いました。”. X(旧Twitter) (2021年4月18日). 2021年4月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月10日閲覧。 “(添付画像は当競馬場の厩舎付近で撮影した馬運車の爆破シーン)”
  10. ^ 西部警察 SUPER LOCATION 6 山形編”. 青志社. 2023年12月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月10日閲覧。
  11. ^ 味いちもんめ 24巻”. 小学館eコミックストア. 小学館. 2022年5月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月10日閲覧。

参考文献

  • かみのやま競馬場『施設概要』かみのやま競馬場、1995年。 

外部リンク


上山競馬場

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 05:40 UTC 版)

競馬の歴史 (東北地方)」の記事における「上山競馬場」の解説

現在の上山市である南村山郡上山町にかつて上山競馬倶楽部もしくは南村山郡畜産組合)という団体があり、同郡堀田村大字金瓶土地借用して競馬が行われていたが、1935年山形県畜産組合連合会移管されると、同年から地方競馬規則に従う地方競馬として1938年まで開催行った1939年軍馬資源保護法公布されると、1940年から1944年にかけては鍛錬馬競走行った戦後1946年には同名ながら戦前とは別の組織である上山競馬倶楽部結成された。会長には戦前国会議員外務省参与官勤め、後に初代上山市長となる高橋熊次郎就任するなど市内顔役による組織であったが、倶楽部により同年開催され競馬地方競馬法などに拠らない闇競馬で、進駐軍後押しがあったというか進駐軍競馬類するといってよい。また倶楽部スタンド改築、1周800mだった馬場を1000mに拡張するなど戦後の混乱期としては積極的な投機行っている。 1948年の新競馬法受けて公営競馬引き継がれ当初山形県営で行われたが、1956年上山市豪雨災害による特例での開催を得ると同年と翌1957年は県と共催、さらに1957年には金瓶地区上山市合併され競馬場設置としての開催を得ると1958年から上山市営による単独開催行ってきたが、2003年廃止されている。 なお競馬場跡地は現在も上山市所有し南関東公営競馬などの場外馬券売場として使用されている。 詳細は「上山競馬場」を参照

※この「上山競馬場」の解説は、「競馬の歴史 (東北地方)」の解説の一部です。
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