上山競馬場
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上山競馬場(かみのやまけいばじょう、Kaminoyama Race Course)とは、かつて山形県上山市に存在した地方競馬の競馬場である。
- ^ a b 「施設概要」p3『上山競馬場沿革』
- ^ a b 「施設概要」p5
- ^ a b 「施設概要」p5
- ^ “プレス発表「蔵王フロンティア工業団地への企業誘致について」” (PDF). 上山市 (2013年3月1日). 2013年3月18日閲覧。
- ^ a b “県内ニュース「ニュートラックかみのやま、敷地利用事業者に東和薬品」” (日本語). 山形新聞. (2013年2月9日). オリジナルの2013年5月1日時点におけるアーカイブ。 2015年7月23日閲覧。
- ^ a b “県内ニュース「『ニュートラックかみのやま』新施設で営業開始」”. 山形新聞 (2013年3月5日). 2013年5月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年7月23日閲覧。
- ^ J-PLACE かみのやま・松山の開設について(特別区競馬組合)地方競馬全国協会、2024年3月8日配信・閲覧
- ^ a b c 「施設概要」p7『上山温泉郷』
- 1 上山競馬場とは
- 2 上山競馬場の概要
- 3 年表
- 4 コース概要
- 5 アクセス
- 6 参考文献
上山競馬場
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「競馬の歴史 (東北地方)」の記事における「上山競馬場」の解説
現在の上山市である南村山郡上山町にかつて上山競馬倶楽部(もしくは南村山郡畜産組合)という団体があり、同郡堀田村大字金瓶の土地を借用しての競馬が行われていたが、1935年に山形県畜産組合連合会に移管されると、同年から地方競馬規則に従う地方競馬として1938年まで開催を行った。1939年に軍馬資源保護法が公布されると、1940年から1944年にかけては鍛錬馬競走を行った。 戦後の1946年には同名ながら戦前とは別の組織である上山競馬倶楽部が結成された。会長には戦前の国会議員で外務省参与官を勤め、後に初代上山市長となる高橋熊次郎が就任するなど市内の顔役による組織であったが、倶楽部により同年開催された競馬は地方競馬法などに拠らない闇競馬で、進駐軍の後押しがあったというから進駐軍競馬に類するといってよい。また倶楽部はスタンドを改築、1周800mだった馬場を1000mに拡張するなど戦後の混乱期としては積極的な投機を行っている。 1948年の新競馬法を受けて公営競馬に引き継がれ、当初は山形県営で行われたが、1956年に上山市が豪雨災害による特例での開催権を得ると同年と翌1957年は県と共催、さらに1957年には金瓶地区が上山市に合併され競馬場設置市としての開催権を得ると1958年から上山市営による単独開催を行ってきたが、2003年に廃止されている。 なお競馬場跡地は現在も上山市が所有し、南関東公営競馬などの場外馬券売場として使用されている。 詳細は「上山競馬場」を参照
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