闇競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/19 08:13 UTC 版)
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この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2017年11月)
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闇競馬(やみけいば)とは、法令の根拠無しに馬券(勝ち馬投票券)の発売を伴って開催される競馬のことである。
日本における闇競馬の中で最も規模が大きいのは、太平洋戦争の終結後に日本各地で行われたものである。
太平洋戦争終結後の闇競馬
太平洋戦争中の地方競馬は「軍馬資源保護法」に基づき、軍用保護馬鍛錬競走として行われた。しかし、同法は国家総動員法制定の影響を受けて制定されたものだったため、「昭和二十年勅令 第五百四十二号「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ関スル件ニ基ク軍馬資源保護法廃止等ニ関スル件」(1945年11月21日勅令第643号)によって廃止された。そのため、戦後の地方競馬については規定する法令が存在しない状態となったため、全国で地元の有力者や競馬関係者、各地の馬匹組合などの関係者、さらには現金確保を目的とした反社会的勢力までもが馬券発売を伴う競馬を主催するようになった。
この闇競馬の中には、北海道に駐留するアメリカ軍の意向によって行われた「進駐軍競馬」もあり、1946年11月20日に「地方競馬法」が公布されるまでの約1年間に渡り盛んに行われた。闇競馬は、法的には根拠を持たない脱法的興行であり、また反社会性を帯びた開催も少なくなかったが、競馬人気の高さを証明したことで戦後の公認競馬の再開に寄与した側面もある。
闇競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 13:57 UTC 版)
「競馬の歴史 (日本)」の記事における「闇競馬」の解説
前述したように、戦後は日本各地で闇競馬が行われた。闇競馬の多くは盛況を極め世間の競馬人気を改めて示す形となったが、同時に治安の低下を招き反社会的な団体の収入源となるなどの問題が指摘された。この問題に対処すべく1946年(昭和21年)に地方競馬法が制定され、都道府県の馬匹組合・馬匹組合連合会以外は地方競馬を主催することができなくなったことで闇競馬は消滅した。 しかし、まもなくGHQによって馬匹組合や馬匹組合連合会による地方競馬の開催は独占禁止法に違反するという指摘がなされたため1948年(昭和23年)以降は競馬法に基づき地方公共団体が地方競馬を主催することとなった。 以後の地方競馬の歴史は地方競馬の歴史を参照。
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