日本競馬会による公認競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/06 13:57 UTC 版)
「競馬の歴史 (日本)」の記事における「日本競馬会による公認競馬」の解説
1936年(昭和11年)に日本競馬会が創設されることとなり競馬倶楽部は解散となり、競馬場などの財産は日本競馬会が所有することとなった(詳細については日本競馬会を参照)。 太平洋戦争の戦局が悪化する中、1943年(昭和18年)には馬券発売を伴う競馬開催の一時停止が決定され1944年(昭和19年)には京都競馬場および東京競馬場において能力検定競走という名目で施行されることとなった。翌1945年(昭和20年)には都心部での競走施行そのものが困難となったことから、能力検定の舞台を北海道と東北地方に移すこととなった。終戦直前の同年8月と終戦後の同年10月には、北海道および東北地方においてごく小規模な能力検定競走が行われた。 なお、終戦後まもなく日本各地で闇競馬が行われるようになった(詳細は闇競馬、および地方競馬において記述)が興行面で成功したものが多く公認競馬の再開を後押しする一因となった。なお、闇競馬の中には進駐軍が中心となって開催されたもの(進駐軍競馬)もある(詳細は進駐軍競馬において記述)。
※この「日本競馬会による公認競馬」の解説は、「競馬の歴史 (日本)」の解説の一部です。
「日本競馬会による公認競馬」を含む「競馬の歴史 (日本)」の記事については、「競馬の歴史 (日本)」の概要を参照ください。
- 日本競馬会による公認競馬のページへのリンク