松戸の闇競馬
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
上野不忍池で非公認競馬を行った興行師たちは内紛を起こして分裂し、1派は千住、1派は松戸に移動する。 池上競馬場開設の前、1906年(明治39年)10月25日から4日間、総武牧場団体競馬会と言う名称で、松戸駅東側の丘陵地帯に1周800メートルの馬場を設けて競馬が行われた。総武牧場団体競馬会は永岡啓三郎や河野広中、森下真、松戸町内の医師や商人たちで作る団体であったが、その実は永岡や地元らの団体は施設を提供するだけで、競馬の実施主体は上野以来の興行師たちであったという。悪評が立ち、地元民からは相手にされず、馬もわずか20-30頭しか用意できなかったという。東京や横浜から博奕好きが集まって賭けに興じていたが、この非公認競馬は警察の介入を受け、3日目からは入場料を無料としたものの観客は100人を超えない寂しいものだったという。
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