騎乗スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/02 06:42 UTC 版)
北海学園大学の教授である古林英一は、金山の存在を「ばんえい競馬における産業から競馬へ変わる転換期の体現者である」と定義した。その理由として古林は、金山の騎乗フォームが従来の騎手とは大きく異なる点を挙げる。金山以前の騎手は林業といった産業で働いていた事もあり、馬車の御者のようなイメージで身体のアクションにおいて激しい動作はとらず、細やかな動作による意思伝達をもって馬を御していた。それに対し、金山の発想は従来の騎手とは全く異なり、全身を使った大きなアクションをとって馬を追っていった。ベテラン騎手からは「そりの上で動くと馬に負担がかかる」といった理由をもって苦々しく見られていたが、実際に金山の成績が上昇しはじめると以前は騎乗依頼のなかった調教師や馬主からも依頼が舞い込むようになった。 1974年から7年連続で100勝していた上昇期には、金山の騎乗は勢いにまかせる剛腕タイプの代表格と見られており、金山自身も若いころは調教時にも馬のクセを叩いて直そうとしていたと語る。しかしキャリアを積み重ねる中で、先輩のやり方を学び馬をなだめたり時には騙したりと柔軟性や多様性をもたせた調教方法へ変化させてゆく。 ある時、いつも先行ばかりでは馬のスタイルには合わないのではないかと考え、31歳くらいの時に「追い込み」型の戦法へ切替えを図った時期もある。これが裏目に出てしまい、年間3ケタに達していた戦績が突如戦績が2桁にとどまる「スランプ」に陥ってしまう。傍目には競馬への積極性が欠けるように見え、仲間内の厩舎関係者からは競馬への姿勢に疑問を持たれ、ファンからは「なぜ馬を行かせない。あいつは八百長している」となじられる有様であった。こうした経験を踏まえ、次の年からは戦法を柔軟に変化させて金山の表現する「一頭一頭、馬に合った騎乗をしよう」というスタイルへ切替え、翌年以降はスランプを脱し以前にも増して一層の勝利を挙げられるようになった。 金山はばんえい馬の騎乗について「馬が疲れ果てたときにどう叱咤(しった)激励し、うなだれるように下がった首をいかに起こして走らせるか。それで決まる」と語る。また、「オーバーワークだと第二障害の前で動かなくなる変な癖がつく。それでは馬が長持ちしない」とも語る。1982年7月15日にNHKの番組「北海道の窓」で金山の特集が組まれた。ばんえい競馬の調教師であった本沢政一が、金山の良さが最も生きる瞬間は「障害登坂である」と表現した。良い馬も悪い馬も第二障害では疲れが出て中々登り切れるものではないというが、金山は馬のバック・前進を巧みに切り返してうまく登ってしまうと表現する。 こうしてキャリアを積み重ねてゆく内に、ばんえい関係者から見た金山評が「馬への当たりの柔らかさ、障害を越える時の手綱さばきのうまさは群を抜いている」と練熟した技量を評価されるようになった。
※この「騎乗スタイル」の解説は、「金山明彦」の解説の一部です。
「騎乗スタイル」を含む「金山明彦」の記事については、「金山明彦」の概要を参照ください。
騎乗スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 13:43 UTC 版)
ソメスサドル社製でクリスチャン・デムーロと同型である特注のえんじ色の鞍を使用する。鐙革、ベルト、レギンス、ジョッキーパンツのネームも同色で揃えている。鞭は持ち手が太めを使用している。 騎乗はヨーロピアンスタイルを目指していて、ライアン・ムーアやウィリアム・ビュイックなどの乗り方を参考にしている。「後悔する競馬をしたくないので、結果として動くのが早かったと言われることもあるが、『ここだ』と思ったときには動くようにしている」と積極的な競馬をするよう心がけている。海外について「海外は行きたい。日本馬と挑む形もそうですし、個人としてはイギリスかフランスに修行として行ってみたいです」と答えている。 佐藤哲三は「馬の体幹から離れ過ぎず近過ぎず、懐が深い。抑えるにしても前に出すにしても、馬のクビの動きに合わせていて、すごくいい間合いで騎乗しているので、ヨーロッパのジョッキーを見ているみたい」「肘や膝のラインが絶妙で、懐の深い騎乗フォームもとてもいい」と評する。
※この「騎乗スタイル」の解説は、「横山武史」の解説の一部です。
「騎乗スタイル」を含む「横山武史」の記事については、「横山武史」の概要を参照ください。
騎乗スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 07:00 UTC 版)
減量を生かした積極的な騎乗スタイルが持ち味で、勝ち星の多くを先行逃げ切りの競馬が占める。元師匠の田所秀孝調教師も「褒めるとすれば、スタートセンスがいいところかな」と評していた。 目標とする騎手として松山弘平の名を挙げている。
※この「騎乗スタイル」の解説は、「西村淳也」の解説の一部です。
「騎乗スタイル」を含む「西村淳也」の記事については、「西村淳也」の概要を参照ください。
騎乗スタイル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/16 18:03 UTC 版)
障害専門の騎手である。モンキースタイルの騎乗ではなく、障害の飛越中に鞭を打つなどの独特の騎乗法があった。そのため落馬したり、しかけたりしたケースも少なくない。1995年の京都大障害(春)では単勝オッズ1.1倍の圧倒的1番人気に支持されたリターンエースに騎乗した際、3周目の4号障害でこのような危ない一面も見せた。
※この「騎乗スタイル」の解説は、「嘉堂信雄」の解説の一部です。
「騎乗スタイル」を含む「嘉堂信雄」の記事については、「嘉堂信雄」の概要を参照ください。
- 騎乗スタイルのページへのリンク