郡境線、火の見線、吉野谷線とは? わかりやすく解説

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郡境線、火の見線、吉野谷線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 01:59 UTC 版)

千葉中央バス」の記事における「郡境線、火の見線、吉野谷線」の解説

誉田駅 - 瀬又倉庫 - 東国吉 - 郡境 - 金剛地火の見(郡境線誉田駅 - 瀬又倉庫 - 東国吉 - 金剛地火の見 - 大椎町南 - 荻生 - 土気駅 - 大椎団地火の見線) 金剛地火の見東国吉吉野谷→市津支所潤井戸吉野谷線) 郡境線および火の見線は、誉田駅から瀬又倉庫まで潤井戸線と同じルート走りそのまま南下して市原市市東地区へ向かう路線である。郡境線誉田駅と金剛地火の見の間を郡境を経由して結び、火の見線は誉田駅大椎団地の間を金剛地火の見土気駅経由で結ぶ(郡境は経由しない)。ただし、火の見線のうち全線通して運転するのは、大椎団地発の早朝1便のみである。いずれも利用者少ないが、沿線小中学校の通学手段として不可欠なこともあり、自治体補助受けて運行維持している。なお、誉田駅 - 東国吉間は、千葉中央バス中でも特に古い営業区間であり、東国吉停留所前に千葉郊外自動車時代車庫宿舎店舗転用されて現存する。 郡境線は、かつて誉田駅 - 茂原駅間を結んでいた茂原線1996年に郡境で分割してできた路線である(郡境 - 茂原駅間は、その後1999年休止)。当初誉田駅 - 郡境間を往復していたが、2008年9月30日より郡境経由金剛地火の見発着改められた。茂原線は、1935年千葉郊外自動車設立同時期に本千葉 - 誉田 - 茂原間で運転を開始した路線で、戦時休止はさんで1971年まで千葉からの直通運転続けられた。1987年には自由乗降制度導入され、現在も金剛地二軒家 - 郡境間が対象区間となっている。 吉野谷線は、金剛地火の見発が片道のみ運転されるだけである。 2015年10月ダイヤ改正土休日運行取りやめとなり、いずれの路線平日のみの運行になった2016年4月1日運行をもって土気駅大椎団地以外の全ての区間休止になった

※この「郡境線、火の見線、吉野谷線」の解説は、「千葉中央バス」の解説の一部です。
「郡境線、火の見線、吉野谷線」を含む「千葉中央バス」の記事については、「千葉中央バス」の概要を参照ください。

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