武王の遺臣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:33 UTC 版)
在位当初は武王の遺臣樗里疾や甘茂・向寿・公孫奭などが政務を取った。 紀元前306年、楚が韓を討ち、韓の雍の地を包囲した。そのため、韓は公仲という者を遣わして重臣の甘茂に取り入って秦に援助を求めてきた。 甘茂は昭襄王に、「韓は秦が味方しないと知ると、国を挙げて楚と同盟するかもしれません。そうなれば(秦と交戦状態にあった)魏も必ず順応します。そうしますと3つの国が同盟することになってしまいます。秦としては、3つの国がこのまま同盟を結び、秦を討つようになることを待つよりは、こちらから(楚を)討ったほうが有利です」と言った。 続いて韓は張翠という者を秦に遣わした。張翠は「私は病気です」と言いながら、日ごとに一邑ずつ秦に向かって進み、ついに昭襄王と甘茂と会見した。 甘茂は「あなたが病をおして来ているところを見ると、韓はさぞかし急迫しているのでしょう」と言った。しかし張翠は「まだ急迫していません」と答えた。甘茂は「本当にそうでしょうか」と聞いた。張翠は「本当に急迫しましたら、韓はすぐに腰を折って楚に参入します。どうして私がここへ来るでしょうか」と答えた。 この答えに甘茂と昭襄王は「なるほど。その通りである」と言い、さっそく兵を出して韓を救った。
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