楚国
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楚国
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「達人伝-9万里を風に乗り-」の記事における「楚国」の解説
春申君(しゅんしんくん) 戦国四君の一人。楚の政治家。巧みな弁舌を操るが、豪胆さや鋭い洞察力も併せ持っており、白起から講和の条件を引き出すと、人質となる楚の太子の供として秦に赴く。後に帰還し宰相となる。 頃襄王 秦の侵攻を許し、王陵を焼かれる。太子完(後の考烈王)と春申君を秦に人質に出し和睦。遷都した数年後に死去。 考烈王 春申君の後押しで頃襄王の次の楚の王となる。春申君を令尹に任じた。 子蘭(しらん) 頃襄王の弟で楚の令尹(宰相)。 項燕(こう えん) 楚の武官で若手ながらも趙国への救援軍5000の兵を率いる、一騎当千の偉丈夫で熱血の武人。対決相手の王齕からも「なかなか上等の武を備えて生まれて」きていると評される程の天性の武の才を持つが、その武技は荒削りで、剣戟の際しょっちゅう剣を折っていた。荘丹から大呼吸を教わり、急速に磨きがかかる。 唐偉(とう い) かつての楚の将軍。まだ少年兵で数十人の兵を率いる白起に生け捕られ、鄭奐の前に引き出され褒賞の分配を確約された直後に白起の手で首を討たれる。 荀子(じゅんし) 荀卿とも尊称される高名な学者。楚において学問所を開き李斯、韓非、龐煖らに学問を教える。秦の政治については高い評価をしており、昭襄王が亡くなった際の春申君の弔問団の同行者に李斯と韓非を推挙した。 韓非(かん ぴ) 荀子の門下生。荀卿に促され、春申君の弔問団に同行する。
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