秦漢帝国論とは? わかりやすく解説

秦漢帝国論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 01:41 UTC 版)

西嶋定生」の記事における「秦漢帝国論」の解説

西嶋は、日本における中国史時代区分論争主要な論者一人である。この論争では経済発展段階説古代・中世・近世近代分ける四区分法使い、主に漢代までを古代魏晋南北朝から隋唐までを中世とする京大派と唐代までを古代・宋からを中世とする歴研派の二つ分かれている。西嶋歴研派に属す西嶋1949年1950年発表した論考西嶋旧説)で、高祖配下集団見られる中涓・舎人・卒・客といった言葉着目し、これを家内奴隷的擬制家族的存在であるとし、高祖集団戦闘集団ではなく生活集団であるとした。そしてこの高祖集団有り様当時豪族一般に通ずるものであり、この形態こそが当時の社会経済主な部分担っており、漢帝国皇帝という関係もまたこの形態取っているとした。西嶋はこれを奴隷制中国的な展開をしたものとみなし、漢帝国奴隷制国家であった論じた。 これに対して様々な方面から批判寄せられたが、その中で最も重要なものが増淵龍夫よるものである。増淵は、西嶋高祖集団対す理解正しいとする。しかしそれを即座に敷衍し、奴隷制といういわば外形からのアプローチのみで理解することが正しいことであろうか、との疑念出し当事者たちの内部心的部分までに踏み込まねば真の理解得られないとした。春秋時代以前においては集落(邑)は同一氏族一緒になって生活する場であり、その中で成員変動というのはほとんどなかった。しかし戦国時代以降集落の中から外へ、外から中への移動激しくなっていた。その中で血縁という絆を持たない者同士新しく人間関係を築く際の絆とされた者が戦国四君などに見られる「恩を恩で返す」というような任侠精神である。この任侠精神は、当時の社会の外に存在していた遊侠などに限定されたものではなく西嶋言ったような家内奴隷的集団内側か支え役割をなしたものであるとする。 またこれに加えて浜口重国により、当時の社会において豪族生産主たる位置占めておらず、生産主たる位置圧倒的多数である自作小農民である、という指摘が行われた。これらの批判受けて西嶋旧説撤回し皇帝小農民との関係性主眼置いた新たな論考西嶋新説)を発表した。これが個別人身支配論である。西嶋は漢の二十等爵制分析し、この爵制の目的が、当時崩壊しつつあった旧来の民間集落秩序新たな爵制により補填することにより、集落秩序形成国家肩代わりすることで民衆一人一人個別人身に対して支配及ぼそうとすることにあったとした。 増渕西嶋新説を「その着眼点非凡さには敬意を表する」としたものの、西嶋新説皇帝・国家側から一方的に民衆に対して支配力を及ぼす形は、結局のところ西嶋否定した東洋的専制主義アジア停滞論と変わる所がないのではないか、として、西嶋の論を「動き取れない構造論」と批判し西嶋が「個別人身支配の外の存在」とした豪族と、その支配下にある民とが形成する共同体こそが、個別人身支配現実的に実現する媒介役割をなす存在であるとした。

※この「秦漢帝国論」の解説は、「西嶋定生」の解説の一部です。
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