古代・中世・近世
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1046年 - 1052年(永正年間) - 源盛勝が神殿を神達の峯に建立し神達八幡宮と称する。後の神田神社。 1111年(天永3年)5月 - 安芸郡加賀浦の神経山に勧請して神殿を建て神田八幡と称し氏神とする。 1451年(宝徳3年) - 禅宗寂成寺を越畑の地より郷に移し真宗に改め宝徳寺と称する。 1554年(天文23年) - 檜垣肥前守が阿賀の地を領す。 1562年(天禄5年)6月 - 神達八幡宮を神立加賀須山に奉納し社殿を再建する。 1573年 - 1591年(天正年間) - 禅宗積蔵寺開基(法幢寺の前身)。 1590年(天正18年) - 禅宗の積蔵寺が真宗に改宗し、後に称名寺と称する。 1603年(慶長8年) - 本山本願寺より宝徳寺の寺号を免許される。 1608年(慶長13年) - 本山本願寺より称名寺の寺号を免許される。 1624年(寛永元年)4月 - 松尾明神建立する。 1629年(寛永6年) - 天台宗大空山浄正寺僧善知真宗に改め西光寺と本山より免許される。 1630年(寛永7年) - 中町に社を建てて胡子神社と称する。 1636年(寛永13年) - 松尾惣平が現在地に冠崎神社を建立して祀る。 1649年(慶安2年) - 2月19日の地震により阿賀村の人家850戸の内大半が被災。 1654年(承応3年) - 幕府が情島を牧場として馬を放ち番人を置く。これが情島住民の始めとなる 1669年(寛文9年) - 神田八幡宮が重ねて修築する(棟札がある)。 1804年 - 1807年(文化年間) - 松尾明神社を東浜から小倉新開に移転する。 1818年 - 1829年(文政年間) - 東浜海岸近くに山肌をくり貫いた岩風呂が既に繁盛していた。 1671年(寛文11年) - 新開を築調する(四反歩)。 1694年(元禄7年) - 石風呂新開を築調する(九反六畝)。 1710年(宝永7年) - 厳島祭礼の漕船を出す。璽後毎年これを行うようになった。 1721年(享保6年) - 積蔵寺僧泰順真宗に帰し法幢寺と称する。 1724年(享保9年) - 神田八幡宮本殿が再建する。 1729年(享保14年)3月11日 - 称名寺の寺号を許可され、本尊阿弥陀如来像を下腸される。 1737年(元文2年) - 宝徳寺が大鐘を鋳造する。称名寺が大鐘を鋳造する。 1745年(延享2年) - 西光寺が大鐘を鋳造する。 1763年(宝暦13年) - 延崎埠頭が築調される。 1774年(安永3年) - 西光寺が炎焼する。 1778年(安永7年) - 神田八幡宮拝殿が再建する。 1780年(安永9年)法幢寺が炎焼する。 1787年(天明7年) - 俳諧唫を神田神社に奉納する。 1792年(寛政4年) - 西光寺本堂が再建する。 1806年(文化3年) - 沿海測量のため幕府測量師伊能勘解由(忠敬)が入村する。 1807年(文化4年) - 宝徳寺本堂が再建する。
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古代・中世・近世
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古代・中世の根羽・月瀬村両村は三河国に属していた。 平安時代後半 - 高橋新荘により現在の愛知県東加茂郡全域と豊田市・西加茂郡・北設楽郡及び長野県の旧根羽村・月瀬両村を含む広大な区域が成立した。 鎌倉時代 - 加茂郡名倉郷に属し、鎌倉御家人の荘官足助氏の支配下に入ったと伝えられている。 南北朝時代 - 加茂郡足助庄に属したとされている。 天文10年(1541年)には旧根羽村・月瀬村に及び、更に享禄年間には阿南町新野の関氏の勢力が三河に及んでいたとされている。 天文13年(1544年)8月13日 - 下條氏によって関氏は滅ぼされ、下條氏の支配下に入った。 弘治2年(1556年) - 新野峠が武田軍によって改修され、下條信氏が武節谷合戦で功を上げた。 元亀2年(1571年)4月 - 武田信玄の西上作戦の一環として足助松山城が攻略され、根羽・月瀬両村はこの時以降武田領となり、三河国から信濃国伊那郡に編入となった。信玄は元亀4年4月に信濃伊那郡において死去したとされるが、『甲陽軍鑑』によれば三河攻めの際に三河の野田城攻撃中に肺肝を患い、根羽村で臨終を迎えたとしている。 天正10年(1582年) - 武田氏滅亡により、織田知行所に変わり、同年、織田信長自刃により徳川氏の天領となった。以降、宮崎信州代官・飯島代官所支配などを経る。 慶応4年(1868年) - 尾州取締所預かりとなり、同年8月の廃藩置県により伊那県に編入された。
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