古代・中世前期とは? わかりやすく解説

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古代・中世前期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 03:41 UTC 版)

「鉄」記事における「古代・中世前期」の解説

鉄器紀元前3世紀ごろ、青銅とほぼ同時期に日本伝来した当初製鉄技術はなく輸入されていた。 青銅紀元前1世紀ごろから日本作られるようになり、製鉄弥生時代後期後半(1–3世紀)ごろから北部九州カラカミ遺跡壱岐市)や備後小丸遺跡三原市)で開始され、それから時代下り出雲地方吉備でも製鉄が行われるようになった総社市千引かなくろ谷遺跡6世紀後半製鉄炉跡4基、製鉄窯跡3基が見つかっている。鞴(ふいご)を使い原料鉄鉱石である。製鉄炉の作り方は、朝鮮半島からの導入推定されている。 日本製鉄法はある時期以降は「たたら」と呼ばれる一種鋼塊炉(bloomery)を用いた砂鉄原料とする直接製鉄法である。直接製鉄法とは、砂鉄または鉄鉱石低温還元し炭素含有量きわめて低い錬鉄生成するもので、近代製鉄法が確立する前は(漢代以降中国など例外除いて広く世界的に見られ方法である。日本製鉄法の特色は、含有量が高い砂鉄原料用いていることである。古代中世においては露天式の野だたら法が頻繁に行われていたが、16世紀中葉から全天候型送風量を増加した永代たたら法に発展した。この古代以来日本独自たたら製鉄法では、玉鋼包丁といった複数同時に得られるために、それがのちの日本刀生み出すとなった以後出雲一貫して日本全国供給し、現在でも出雲地方にその文化名残認められ日立金属などの高級特殊鋼メーカーへと変貌遂げている。 養老律令規定では、採取活動に関しては官による採取優先されるものの、民間による採取否定したものではなかった(雑令国内条)。これは中国の唐令の規定そのまま日本導入したものと考えられる(ただし、中国では宋に入ると民間による採取禁じ方針変更されていくことになる)。また、生産に関して蝦夷近接する東辺・北辺での生産規制する規定存在していた(関市令弓箭条)が、他に規制存在を伺わせる史料は見つかっていない。また、調としてや鍬の貢納指定されていたり、国司武器鉄器原料として民間との間で交易図っていたことを示す正税帳記述もあり、国家による徴収再分配放出とは別に民間におけるある程度生産・流通存在し王臣家や中小生産者など幅広い層が担っていた。律令国家においては所謂官営工房」が生産・流通支配してたとする官営工房」論が存在しているが、当時文献古記録からは国家による鉄製品の生産・流通独占管理が行われていた事を示すものは無く、(価格問題はあるものの)一般に対価さえ支払えば鉄器購入が可能であった考えるのが適切である。 農具鉄器作られるうになると、農地の開拓進んだ中世日本ではは非常に貴重であり、鉄製農機具政府持ちもので、朝借りてきて夕方には洗って返すことになっていた。私有地耕作には農機具を使うことができなかったため、いい農地政府所有であった。すなわち、中世日本貴族所有権通して遠隔地にある荘園管理した11世紀ごろから生産量増えると、安価に供給されるようになった個人農機具を持つことができるようになると、新し農地開墾されようになった

※この「古代・中世前期」の解説は、「鉄」の解説の一部です。
「古代・中世前期」を含む「鉄」の記事については、「鉄」の概要を参照ください。

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