古代・中世の城塞とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 古代・中世の城塞の意味・解説 

古代・中世の城塞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 15:51 UTC 版)

城塞」の記事における「古代・中世の城塞」の解説

古代ギリシアでは、城塞は軍を指揮する丘(アクロポリスの上築かれポリスに住む人々暮らし重要な一部であった武器食糧貯え戦乱時には避難および篭城の場所となり、平時には神殿王宮となっていた。 中世ヨーロッパでは城塞は、城郭都市防衛軍最後に防衛する場所で、都市陥落後も防衛側都市一角城塞立てこもり、いざとなれば背後田園丘陵逃げられるようになっていた。 大砲発達伴って稜堡式城壁研究進み、塔と堡塁都市取り囲んで防衛するうになると、城塞もその重要な役割占めようになった城塞城壁稜堡群の内部置かれることもあったが、経済活動の場所確保のために外郭一部なすよう配置されることが多かった。敵が城郭の他の部分攻撃加えるような場合でも、城塞最強拠点として最後防衛線となることが期待された。 アラビア語では城塞カスバ(qasbah, قصب)と呼んだアルジェリアなどでは城壁囲まれ迷路のような旧市街カスバ呼ばれたほか、スペインではイスラム教徒残した城塞カスバ)をアルカサバAl Cazaba:"Al"はアラビア語の定冠詞)と呼んだアルカサババダホス最大のものがあるほか、グラナダアルハンブラ宮殿一部マラガメリダにもアルカサバ残っている。 ロシア語では城塞は「クレムリ」(クレムリン)と呼ばれ中世ロシアの各都市にはクレムリ設置されていた。現存するものでは、ノヴゴロドニジニ・ノヴゴロドアストラハンなどのクレムリン代表的なものだが、中でもモスクワクレムリンカザンクレムリンはよく知られている。

※この「古代・中世の城塞」の解説は、「城塞」の解説の一部です。
「古代・中世の城塞」を含む「城塞」の記事については、「城塞」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「古代・中世の城塞」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「古代・中世の城塞」の関連用語

1
10% |||||

古代・中世の城塞のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



古代・中世の城塞のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの城塞 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS