足利将軍家へ伝来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:41 UTC 版)
元々は足利将軍家の所有であり、1487年(長享元年)に9代将軍足利義尚が近江守護の六角高頼を追討した長享・延徳の乱では、義尚の佩刀として用いられていたと伝わっている。その後、室町幕府滅亡後は足利将軍家から流出して堺の豪商が所持していたところを本阿弥祐徳(本阿弥光徳の従兄弟)が百貫で購入し、豊臣秀吉の黄母衣衆である一柳直末に譲られた。
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