足利家の置文と師秋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 07:49 UTC 版)
室町時代前期の武将今川貞世(了俊)が著した「難太平記」には、以下のような内容の記述が存在する。 鎌倉時代後期、足利家の当主家時(尊氏・直義の祖父)は有力御家人の抗争に巻き込まれ、不慮の死を遂げた。家時は臨終の際、八幡大菩薩に「自分の三代後の子孫に天下を取らせよ」と祈願し置文を残した。この置文は家時の執事であった高師氏が預かり、南北朝期には師氏の孫にあたる師秋の手に渡っていた。後に師秋はこの願文を直義に見せ、感嘆した直義は願文を自筆で複写しそれを師秋に預け、預かった原文は自分の下に留め置いた。 これらの書状は見つかっていないため家時が遺した願文と師秋が所持していた書状が同一のものかは定かではないが、この話が事実ならば、師秋は足利家に伝わる書状の管理を任されるほど足利家中において重要な位置にいた人物であったことが窺える。
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