織田信応とは? わかりやすく解説

織田信応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/05 10:04 UTC 版)

 
織田信応
時代 江戸時代中期 - 後期
生誕 宝暦8年(1758年
死没 享和元年5月10日1801年6月20日
改名 長煕(初名)、信応
別名 重次郎、織部(通称)
墓所 東京都練馬区広徳寺
丹波柏原藩世嗣
氏族 織田氏(信雄系高長流)
父母 織田信旧
織田信憑
兄弟 元丸、勇千代、信応、長貴ら4男
岩城隆恭七女・信
前田利與長女・恒子
信古
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織田 信応(おだ のぶまさ)は、江戸時代中期から後期にかけての丹波国柏原藩の世嗣。通称は重次郎、織部。

生涯

宝暦8年(1758年)、柏原藩3代藩主・織田信旧の三男として柏原にて誕生。初名は長煕。同年、子供に恵まれなかった父・信旧は、分家から信憑を養嗣子に迎えていた。

寛政元年(1789年12月8日、4代藩主・信憑の養子となる。寛政2年(1790年)2月15日、11代将軍・徳川家斉御目見する。しかし養父に先立ち、享和元年(1801年)5月10日に死去した。享年44。代わって、信憑の長男・信守が嫡子となった。墓所は広徳寺

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