おの‐らんざん〔をの‐〕【小野蘭山】
小野蘭山
小野蘭山
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小野 蘭山(おの らんざん、享保14年8月21日(1729年9月13日) - 文化7年1月27日(1810年3月2日))は、江戸時代の大本草学者。名は識博(もとひろ)、通称は喜内、字は以文、号は蘭山、朽匏子。しばしば「日本のリンネ」と称される。京都出身。門弟に杉田玄白、木村兼葭堂、飯沼慾斎、谷文晁、桜田欽斎、水谷豊文、三谷公器、狩谷棭斎、吉田立仙、山本盛備(大正年間の総理大臣山本権兵衛の養曽祖父)
- ^ 『蘭山先生生卒考』に収録された平井敬義「先師蘭山小野夫子肖像之記」によると、文晁は蘭山の右横顔を写したが、蘭山は左横顔の瘤も写すべしとして左横顔に描く改めさせたという(平野(2011)pp.17,84)。
- ^ 根本曽代子 「小野蘭山」 『日本大百科全書(ニッポニカ)』 小学館、1984–1994。 @ コトバンク
- ^ 「小野蘭山」 『世界大百科事典』 平凡社。 @ コトバンク
- ^ a b c 「小野蘭山」 『朝日日本歴史人物事典』 、1994年。 @ コトバンク
- ^ A.J.C.ヘールツ『 新選本草綱目』序論(仏文、横浜、1878年)。なお、白井光太郎はシーボルトから「東洋のリンネ」と讃えられたとするが、典拠が確認できない(小野蘭山没後二百年記念事業会編集・発行 『衆芳 小野蘭山没後二百年記念事業報告書 2010』 2010年12月31日、p.39)。
- ^ 『官報』第7741号「叙任及辞令」1909年4月19日。
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