岩崎灌園とは? わかりやすく解説

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いわさき‐かんえん〔いはさきクワンヱン〕【岩崎灌園】

読み方:いわさきかんえん

[1786〜1842]江戸後期本草(ほんぞう)学者江戸の人。名は常正小野蘭山師事し、のちシーボルトとともに研究。著「救荒本草通解」「本草図譜」など。


岩崎灌園

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/30 18:26 UTC 版)

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藤浪剛一『医家先哲肖像集』より岩崎灌園

岩崎 灌園(いわさき かんえん、天明6年6月26日1786年7月21日) - 天保13年1月29日1842年3月10日))は江戸時代後期の本草学者。『本草図譜』(96巻)の著者である。

江戸下谷、現在の御徒町に生まれる。名は常正、通称源蔵。父親は直参の徒士である。本草学を小野蘭山に学び、若年から本草家として薬草採取を行う。文化6年(1809年)に徒士見習いとして出仕した。文化11年(1814年)、灌園28歳の時、屋代弘賢編の『古今要覧稿』の編集、図版製作の手伝いを命じられる。文政3年(1820年)に小石川火除地の一部を貸与され薬種植場を設けた。著書に『本草図譜』『草木育種』『救荒本草通解』『日光山草木の図』などがある。

『本草図譜』のワサビ

『本草図譜』は20歳代から準備をすすめ20年をかけて作成され、文政11年(1828年)に完成した。これまでの本草書の図版が欠落していたり、精密さに欠けることに不満を感じた灌園が、自ら描いた2000種の図を集大成したもので、92冊からなり、李時珍の『本草綱目』にしたがって配列された。5巻から10巻は木版印刷して出版された(1~4巻は『本草項目』が植物以外の薬の項目であるため5巻から始まる)。その他は模写によって配布された。描かれた植物は自ら写生したもののほか、ヨハン・ヴィルヘルム・ヴァインマンの『花譜』からの転載も含まれた。

参考文献

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