植物学などへの貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/18 06:44 UTC 版)
「リュドヴィク・サヴァティエ」の記事における「植物学などへの貢献」の解説
現在の日本では、サヴァティエは本来の職務である医療よりも、むしろ日本の植物他の生物の調査で知られている。日本滞在中に1800種の植物を分類し、標本をヨーロッパに送った中には、100以上の新種が含まれた。逆に、ヨーロッパの植物を取り寄せて日本の研究者に提供もした。 サヴァティエ自身は仕事のため横須賀を離れることが難しかった。自身での植物の採集は、遠くても横浜や鎌倉などに限られた。一方で明治政府に雇われたフランス人技師エミール・デュポンや、デュポンの随員である佐波一郎の協力のもとに、サヴァティエは日本各地の植物を収集した。(デュポンは、艦材の選定を職務として日本に招かれ、日本各地の官有林を視察した。フランスに帰国後、1880年に「日本森林概要」を出版した。319種の森林植物に関する著作である。) サヴァティエは日本人の本草家(植物学者)との関係でも知られる。伊藤圭介や田中芳男などから標本を入手している。[要出典]また伊藤圭介の原稿を、息子の伊藤謙が編集し出版した「日本植物図説」の序文をサヴァティエが書いている。そこでサヴァティエは島田充房の「花彙」、飯沼慾斎の「草木図説」、岩崎灌園の「本草図譜」などに触れ、日本の植物学のレベルの高さを称揚している。「花彙」に関しては、佐波一郎の協力でフランス語に翻訳し、1873年にパリで出版している。 サヴァティエは収集した標本をフランスに送っていた。パリの博物館員のアドリアン・ルネ・フランシェは、サヴァティエの収集した植物を研究し、後にサヴァティエと共著で『日本植物目録』(Enumeratio Plantarum in Japonia Sponte Crescentium)を1875年から1879年にかけて、パリで出版した。ラテン語による日本の植物目録としては、初めてのものである。フランシェが報告した新種の植物の中には、学名の命名者がフランシェとサヴァティエの連名("Franch. et Sav.")になっているものが多くある。(例: コシアブラ、タテヤマギク)彼らによって(再)報告されたフラサバソウの和名は、彼らを記念してつけられたものである。 サヴァティエは藻類の採集もした。またサヴァティエが1867年に横須賀製鉄所のドック建設中に発見したとされる「バクに似た動物」の頭骨と脊椎骨は、ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって研究、報告された。これは現在では日本で最初に発見されたナウマンゾウの骨である事が知られている。
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