ナウマンゾウとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 自然 > 生物 > 古生物 > 更新世の哺乳類 > ナウマンゾウの意味・解説 

ナウマン‐ぞう〔‐ザウ〕【ナウマン象】

読み方:なうまんぞう

第四紀更新世後期栄えたゾウ一種中国から日本にかけての温帯地域生息し化石日本各地から発見される。肩高約3メートル、牙は長さ約2メートル湾曲し前肢が太い。名はE=ナウマンにちなむ。


ナウマンゾウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/28 07:24 UTC 版)

ナウマンゾウ
生息年代: 中期更新世–後期更新世
Є
O
S
D
C
P
T
J
K
Pg
N
ナウマンゾウの化石(複製)
地質時代
中期 - 後期更新世
分類
ドメイン : 真核生物 Eukaryota
: 動物界 Animalia
: 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
: 哺乳綱 Mammalia
: 長鼻目 Proboscidea
: ゾウ科 Elephantidae
: パレオロクソドンPalaeoloxodon
: ナウマンゾウ P. naumanni
学名
Palaeoloxodon naumanni (Makiyama1924)
シノニム
  • Elephas namadicus naumannni
  • Loxodonta (Palaeoloxodon) namadicus naumannni
  • Palaeoloxodon namadicus naumannni
  • Palaeoloxodon naumanni
  • Elephas (Palaeoloxodon) naumanni
和名
ナウマンゾウ
英名
Naumann's elephant

ナウマンゾウPalaeoloxodon naumanni)は、約33万年前(中期更新世)から約2万4000年前または約1万5000年前(縄文時代始期前後)までの日本列島に、またはユーラシア大陸にも生息していたパレオロクソドン属のゾウであり、後期更新世の日本列島に棲息した長鼻目は本種とケナガマンモスのみである[1][2]。日本列島産の化石長鼻目だけでなく、後期更新世以降の日本列島に分布した陸棲のメガファウナ英語版全体でもヤベオオツノジカハナイズミモリウシと共に知名度が特に高い種の一つであり[3]、標本数も他の長鼻目よりも圧倒的に多く、本種とステゴドンは日本列島の長鼻目の代表格とされている[4][5]

分類

中国台湾に分布していた P. huaihoensis英語版)も、当初はナウマンゾウの亜種またはシノニムと考えられていたが、肩高は推定4メートル、体重は推定13トンとナウマンゾウよりも大型である[6]

本種の種小名和名ハインリッヒ・エドムント・ナウマンへの献名になっている[5]

長鼻目ゾウ科に属し、現生のアジアゾウと近縁である。今日一般的に受け入れられている学名Palaeoloxodon naumanni である。分類においては、アンティクースゾウ英語版日本列島に分布していた可能性の是非などナウマンゾウ以外の化石長鼻目の自然史についても不確定な要素も多かったため[7]トロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス/ステップマンモス)などの他の日本列島産の化石長鼻目との混同などが発生してきた[8]。現在[いつ?]ではパレオロクソドンアフリカゾウ属亜属とする見解の研究者はおらず、亜属として扱う際にはアジアゾウ属の亜属とする。その見解からは本種もアジアゾウ属に分類され、学名も Elephas naumanni または Elephas (Palaeoloxodon) naumanni とされることもある。また、地球史上最大の陸棲哺乳類の一角であり日本列島にも分布していたとされることもあるナルバダゾウ(ナマディクスゾウ)や、大型種であるアンティクースゾウ英語版と近縁であるという説が発表されたこともあったが、一方で別の大型種のレッキゾウを先祖に持つという指摘も存在する[9]槇山次郎が最初に本種を命名・分類した際にもナルバダゾウの亜種として見なしていた[5]

なお、同じく絶滅したゾウ科動物のマンモスは独立したマンモス属の総称だが、こちらもアジアゾウ属の亜属とされることがある。約120 - 65万年前に日本列島に生息していたトロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス/ステップマンモス)を、通常はケナガマンモスの古い祖先であるとみなされている一方で、ナウマンゾウの一種であると主張する学者もいる。化石種の標本の種分類には混同や混乱、再評価が発生し得るため、ナウマンゾウやケナガマンモスの化石に関してもアルメニアゾウ、トロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス / ステップマンモス)、ナルバダゾウ等との混同や混乱が見られた。各地で採取された(近年ではナウマンゾウの変異またはシノニムであるとも考えられる)標本にも「アオモリゾウ(七戸象)」「セトゾウ」「トクナガゾウ」「フカウラゾウ」「ヤベゾウ」「ワカトクナガゾウ[10]」などの別称が付けられ、これらの中には報告当時はナウマンゾウとは別種であるとされていたものも含まれている[4][11]

ユーラシア大陸産のパレオロクソドンには中国台湾に生息していた P. huaihoensis英語版)の様にナウマンゾウの亜種またはシノニムと考えられていた種類が存在したり、宮古島で発見されたシガゾウ(E. shigensis)も研究者によってはナウマンゾウ自体と見なされていたなど、日本列島以外におけるナウマンゾウや直接の祖先や関連種と他の長鼻目の関連性などには異説や異論が存在してきた歴史があり、以前はナウマンゾウ自身も南西諸島や台湾に分布していたと考えられていた[4]

学名

本種の学名の変遷を以下に示す。

特徴

富山市科学博物館所蔵の生体復元模型。当時の富山平野も本種やヤベオオツノジカハナイズミモリウシなどのメガファウナ英語版の生息地であったと思われる[12][13]

推定される雄の成獣の大きさは肩高2.4 - 3メートル、体長5-6メートル、体重5トン前後であり、ケナガマンモスアジアゾウよりもやや小型であり、パレオロクソドン全体でも比較的に小型である[2][14][15]。一方で、千葉県立中央博物館に所蔵されている骨格標本は単一の個体のものではなく東京都千葉県神奈川県に産した標本を組み合わせてはいるが、復元時の肩高が4メートルに達している[5]。長鼻目に限らずメガファウナ英語版の生息範囲が島嶼に制限されると島嶼矮小化英語版によって小型化する傾向を見せる。日本列島でもアケボノゾウのように顕著に小型化を遂げた種類が存在しており[16]、ナウマンゾウにおいてもたとえば栃木県から発見された標本には瀬戸内海産の化石よりも小型であるものが含まれているが、これが矮小化の兆候または別種である可能性の是非には議論の余地があるとされる[17]

温帯を好む南方系の種類とされる一方で、氷期の寒冷な気候に適応するために皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていたと考えられている。最大の特徴として頭蓋骨上の頭頂部の隆起があり、頭部のシルエットがベレー帽を思わせるほどに突き出ていたとされており、これによって他の長鼻目との識別がしやすい[5][18][19]

門歯)が発達しており、雄では長さ約240センチメートル、直径15センチメートルほどに達した。この牙は小さいながらも雌にも存在し、長さ約60センチメートル、直径は約6センチメートルであった[20]。また、(牙の)外側から内側へのねじれの様な湾曲も特徴的である[18]

植物花粉化石と共に発見されていることから、落葉広葉樹針葉樹を含む温帯や冷涼な地域の森林地帯(落葉広葉樹林や針広混交林)がとくに重要な生息地であり[5]、歯の化石の摩耗から樹皮や小枝などの粗い植生を餌としていたと推測される[2][10]。また、北海道での花粉の化石の年代測定によって、針葉樹林も本種の分布に含まれていた可能性が浮上している[5]

また、寒冷期においても比較的に温暖な時期にブラキストン線を超えて本州から北海道に到達していたことからも、ナウマンゾウも(現生のアジアゾウなどと同様に)遊泳が可能であり、当時の津軽海峡を泳いで渡り切った可能性がある[5]

分布

中華人民共和国内モンゴル自治区)・フフホト市内蒙古博物館英語版に展示された骨格標本。

日本列島で発見されてきた最古の化石は約35万年前のものであるが、対馬海峡陸橋の形成史から、実際のユーラシア大陸から列島への渡来時期は約43万年前だった可能性がある[5]ケナガマンモスとは異なり、やや寒冷な気候にも対応していたものの温帯を好む南方系の動物だった。寒冷期でユーラシア大陸と日本列島の間に陸橋が形成された約43 - 30万年前に他の大陸産の動物相と共に朝鮮半島中国の南部を経由した列島への渡来があったと考えられており、これはサハリンを経由して北海道に到達したケナガマンモスとは異なる[14][21]朝鮮半島を含むユーラシア大陸からもナウマンゾウとされる化石の発掘例があるが[5]、日本のナウマンゾウと同種であるかどうかは今のところ不明である。

現在の北海道から九州までの日本列島の広範囲に分布しており、野尻湖東京都瀬戸内海などから特に多くの化石が出土している。氷期間氷期が繰り返されるに従って各時期の本種の分布の北限が影響を受け、南北への往復を繰り返しながら列島での分布が拡大していったと思われる[5]。低地だけでなく海抜1,000メートルを超える高地にも生息しており、現在の瀬戸内海からも多数の標本が発見されている[22]。後期の通り、北海道という生息地をケナガマンモスと共有または入れ替わりで利用しており、ナウマンゾウが津軽海峡ブラキストン線)を越えたのに対してマンモスが本州に到達したという厳密な記録は存在しない[5][23]。しかし、約2万年前頃から衰退し約1万5000年前の新生代後期更新世に絶滅したとされる[2][19]

北海道

忠類村から出土したナウマンゾウの骨格標本(北海道博物館)。
生体復元模型(中川郡幕別町忠類ナウマン象記念館)。

ナウマンゾウとケナガマンモス後期更新世以降の日本列島に分布していた化石長鼻目であり(トロゴンテリーゾウは中期更新世までの北海道に生息していたとされる)、両種とも北海道に分布していたことが判明しているものの、対照的な生息環境を利用していたことからも[注釈 1]、実際の当時の生息状況、とくに両種が同じ時代に北海道にて共存していたのか否かという疑問については議論の対象になっており、研究者によっても異なる説が支持されてきた[5]

当時の北方系の動物相[注釈 2]ユーラシア大陸からの北海道への渡来経路は、(朝鮮半島対馬海峡を経由してきた他のバイソン属などを除けば)寒冷期に形成された間宮海峡宗谷海峡をつなぐ陸橋であったとされており、当時は現在のハバロフスク地方サハリンと北海道が地続きになっていた。北海道はシベリアを除くアジアにおけるケナガマンモスの東端で南限であり、例外的な事例もあるものの、日本列島ではケナガマンモスが通常分布していた唯一の地域であったと考えられている[注釈 3]。なお、ナウマンゾウやヤベオオツノジカなどがブラキストン線津軽海峡)を超えて本州から北海道に達したのに対してマンモスが北海道以南に到達した痕跡は(島根県温泉津町の記録以外では)存在していない。寒冷期においては津軽海峡が凍結または海水面の低下によって陸橋が形成されていた可能性があるものの、ナウマンゾウが北海道に到達していたのは比較的に温暖であった時期であるため、ナウマンゾウは津軽海峡を泳断していたと考えられている[5]

北海道におけるケナガマンモスの標本の年代は約4万8000年前から2万年前であるが、2013年までは約4万年前から3万年前の間に該当する化石が発見されておらず、対照的に3万5000年前のナウマンゾウの化石が湧別町で出土してきた。ナウマンゾウが北海道に分布していた当時の気候は寒冷期の中では比較的に暖かかったことが花粉の化石から判明しており、ナウマンゾウにより適した植生が確立されていたのに対してケナガマンモスは北上して北海道から撤退していた可能性が示唆されていた。しかし、約2万年前には再度の寒冷化のためにマンモスの好む草原が拡大し、今度はナウマンゾウが本州に退却していた可能性が指摘されていた。これらの判断材料から、従来は両種は異なる時期に北海道を利用していて生息地を共有することはなかったとする説が主流であった[5]

しかし、2013年北広島市襟裳岬の沖で発掘されたナウマンゾウとケナガマンモスの化石群は年代が共に約4万5000年前の前後(北広島市)と約3万5000年前(襟裳岬)と推定されており、それまでケナガマンモスの分布が抜け落ちていた時期(約4万年前から3万年前の間)に該当する年代の標本が発見されたことからも、それまでの「両種が分布を共有することはなかった」という定説に一石を投じる発見であった。一方で、当時の著しい気候変動によって両種の分布がすばやく入れ替わっていた可能性が挙げられたり、標本の年代の測定の精度を疑問視するなど「共存説」に対して慎重的な見解を示す識者もいた。しかし、2015年に北広島市から発見された花粉の化石の解析により、両種が共存していた可能性のある時期に非常に近い年代の植生の構成が「9割以上が針葉樹」と判明した。これは従来は両種が好むとされてきた植生環境とは異なっており、ケナガマンモスが針葉樹林にも生息していたことを示唆させる世界初の資料になった。この発見から、両種は共に(少なくとも部分的に)針葉樹林にも適応が可能であり、気候変動に伴って両種の個体群の大半が分布を変化させたであろう一方で、少なくとも一部は針葉樹の多い環境も利用していた現実性が浮上し、議論の材料となる状況証拠が不足しているものの[注釈 4]、以前よりは「共存説」の可能性が大幅に増大した[5]

発見

明治神宮前駅工事の際に出土したナウマンゾウの化石(国立科学博物館)。
大阪市立自然史博物館に展示されているナウマンゾウとヤベオオツノジカの生体復元模型。

最初の標本は明治初期に横須賀で発見され、1881年に東京帝国大学(現・東京大学地質学教室の初代教授だったドイツお雇い外国人ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって他の日本列島の複数の化石長鼻目と共に報告、報告され[5]、ナウマンの後任としてダーフィト・ブラウンスもこれらの研究に携わった[25][26]。その後1921年大正10年)には浜名湖北岸の工事現場で・臼歯・下顎骨化石が発見された。

京都帝国大学理学部助教授槇山次郎は、1924年(大正13年)[5]にそれがナルバダゾウの新亜種であるとしてこれを模式標本(模式地は遠江国敷知郡伊佐見村佐濱、現在の静岡県浜松市中央区佐浜町)とし、日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンに因んでElephas namadicus naumannniと命名した[8]。これにより和名は「ナウマンゾウ」に決定した。

1962年昭和37年)から1965年(昭和40年)まで長野県野尻湖畔に位置する立が鼻遺跡(野尻湖遺跡群)で実施された4次にわたる発掘調査では、大量のナウマンゾウの化石が見つかった。それまでは本種は熱帯性の動物で毛を持っていないと考えられていたが、野尻湖での発掘により、やや寒冷な気候下でも生息していたことが判明した[27]

1976年(昭和51年)、東京地下鉄都営新宿線浜町駅付近の工事中に、地下約22メートルの地点から3体のナウマンゾウの化石が発見された。この化石は浜町標本と名付けられ、頭蓋や下顎骨が含まれている。出土地層は約1万5000年前の上部東京層である[1]。他にもナウマンゾウの化石は、東京都内だけでも田端駅日本銀行本店、明治神宮前駅および北青山遺跡[21]原宿駅および神宮橋[21]東京洋菓子倶楽部付近[15]池袋[5]など20箇所以上で発見されている。

1998年平成10年)、北海道湧別町東芭露(ひがしばろう)の林道沿いの沢で奇妙な形のを隣村から山菜取りに来ていた漁師が発見し湧別町教育委員会に寄贈した。同委員会は札幌の北海道開拓記念館に石(化石)の調査を依頼した。北海道ではケナガマンモスは6 - 4万年前に、ナウマンゾウは約12万年前に生息していたと考えられていたので、約35,000年前のマンモスの臼歯化石であると発表された。しかし、2002年(平成14年)に滋賀県立琵琶湖博物館の鑑定でナウマンゾウのものであり、北海道でもマンモスと入れ替わりながらナウマンゾウが津軽海峡ブラキストン線)を越えて生息していた新しい事実が明確になった[23]

瀬戸内海で発見された多数の標本群は「眞屋卯吉コレクション」として知られ、その中の数百点は早稲田大学に所蔵されていたが、写真こそ現存しているものの実物は研究が行われる前に第二次世界大戦の戦禍によって失われている[5]

人との関わり

野尻湖ナウマンゾウ博物館に展示された復元模型。
ナウマンゾウの歯の化石。
ナルバダゾウの歯の化石。

千葉県印旛村(現在の印西市1966年(昭和41年)発見、国立科学博物館収蔵)や、北海道広尾郡忠類村(現在の中川郡幕別町1969年(昭和44年)発見、北海道開拓記念館収蔵)から骨格の化石が発掘されている他、日本各地から断片的な化石が発見されている。

岩手県一関市花泉町長野県上水内郡信濃町野尻湖畔や、からはナウマンゾウやヤベオオツノジカハナイズミモリウシステップバイソン)などの化石と共に旧石器時代の石器や骨器が発見されており(花泉遺跡野尻湖遺跡群のキルサイト)[10]、これらの生物は当時の人類狩猟の対象であったと考えられている。ナウマンゾウは国内においては約2万4千年前から1万5千年前にかけて絶滅したとされるが、これは日本列島現生人類が現れた後期旧石器時代に該当する[1][2]後期更新世完新世初頭にかけて発生した陸棲のメガファウナ英語版の大量絶滅(第四紀の大量絶滅)において、絶滅した動物相にはナウマンゾウも含めてそれまでに幾度もの気候変動とそれによる植生の変化を乗り越えてきた種類も多いため、これらの生物の最終的な絶滅の背景には最終氷期に伴う生息環境の変化や個体群の隔離と断絶だけでなく、人類による狩猟圧などの悪影響が占める部分が小さくないと思われる[2][12][28][29]

なお、大型の動物の歯や骨の化石は「龍骨(竜骨)」と呼ばれ、古くから収斂薬や鎮静薬などとして用いられてきた。奈良県正倉院には「五色龍歯(ごしきりゅうし)」と呼ばれるナウマンゾウの臼歯の化石が宝物として保存されている。一方で、この「五色龍歯」は実際には上記の通り本種との関連性も指摘されてきて日本列島に分布していたとされることもあるナルバダゾウのものであるという指摘も存在する[30][31]

脚注

注釈

  1. ^ 一般的にナウマンゾウは南方系で落葉広葉樹林や針広混交林を好むとされており、ケナガマンモスは典型的な「マンモス動物群」の一角であり、マンモス・ステップ英語版などの草原を好む北方系であったなど。
  2. ^ ケナガマンモスやバイソン属ヘラジカトナカイなど[24]
  3. ^ 日本国内では2011年の時点で合計13点のケナガマンモスの化石が発見されており、出土分布の内訳としては北海道で12点、島根県温泉津町沖の日本海で1点であるが、後者に関してはユーラシア大陸側の個体の死骸が海流によって流れ着いた事例と考えられており、高橋啓一は島根県の記録を日本国内のケナガマンモスの自然分布の判断材料としては除外するべきと提唱している[5]
  4. ^ 当時の北広島市の針葉樹林の範囲や北広島市以外の針葉樹林の分布の有無など。

出典

  1. ^ a b c 古泉弘「武蔵野の開拓者」『東京都の歴史 (県史13)』竹内誠池上裕子、加藤貴、藤野敦、山川出版社、2010年11月、10-16頁。ISBN 978-4-634-32131-1 
  2. ^ a b c d e f Roman Uchytel、Alexandra Uchytel. “Naumann's elephant”. Uchytel Prehistoric Fauna Studio. 2025年6月11日閲覧。
  3. ^ 特別展「氷河期展~人類が見た4万年前の世界~」”. TBSチケット(TBSテレビ (2025年). 2025年6月9日閲覧。
  4. ^ a b c 鹿間時夫 (1975). 第二類 生物学・地学. 大塚裕之、冨田幸光. “Fossil Proboscidea from Taiwan (1)” (pdf). 横浜国立大学理科紀要 (横浜国立大学教育学部) (22): 13-35. 
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 土屋健「3 最後の巨獣たち」『古第三紀・新第三紀・第四紀の生物 下巻』群馬県立自然史博物館(監修)、技術評論社、2016年7月23日、102-115頁。 ISBN 978-4774182520 
  6. ^ Biswas, Deep Shubhra; Chang, Chun-Hsiang; Tsai, Cheng-Hsiu (2024-07). “Land of the giants: Body mass estimates of Palaeoloxodon from the Pleistocene of Taiwan”. Quaternary Science Reviews英語版 (エルゼビア) 336: 108761. doi:10.1016/j.quascirev.2024.108761. 
  7. ^ 松本彦七郎「日本産化石象の種類(略報)」(pdf)『地質学雑誌』第31巻第371号、日本地質学会、1924年9月20日、255-272頁、doi:10.5575/geosoc.31.371_255 
  8. ^ a b c 槇山次郎 (1923-08-01). “Notes on a Fossil Elephant from Sahamma, Tôtômi.” (pdf). Memoirs of the College of Science, Kyoto Imperial University. Ser. B (京都帝國大學・理學部) 1 (2): 255-264. https://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/257670/1/mcskiu-b_01_2_255.pdf 2025年6月10日閲覧。. 
  9. ^ 高橋 2022, pp. 13-14、183-184.
  10. ^ a b c 米田寛「花泉(金森)遺跡出土動物骨化石中の人類遺物とされた資料」(pdf)『岩手県立博物館研究報告』第42号、岩手県立博物館、2025年3月、1-10頁、 ISSN 0288-63082025年6月13日閲覧 
  11. ^ 高橋 2022, p. 5-14、20、24-28、183-184.
  12. ^ a b 魚津埋没林博物館「ナウマンゾウとオオツノジカ」(pdf)『うもれ木(魚津埋没林博物館広報誌)』第41巻、魚津印刷株式会社、2014年7月7日、2025年6月9日閲覧 
  13. ^ 麻柄一志「第6回 先史時代のヒトと自然」(pdf)『富山市民大学 《立山黒部ジオパークを知る》』2021年11月17日、2025年6月9日閲覧 
  14. ^ a b 甲府にもナウマンゾウがいた!”. 甲府市 (2022年8月22日). 2025年6月11日閲覧。
  15. ^ a b 山下信治、ユキイデ (2021年6月12日). “浜町にナウマンゾウの化石を取り戻せ!「浜町標本」プロジェクト、キックオフ!”. 中央区民マガジン. 2025年6月11日閲覧。
  16. ^ 神谷英利、浜田典子「日本とその周辺地域における長鼻類(ゾウ)の進化」『2004年度COE活地球圏セミナー 後期 第10回』、京都大学、2004年12月22日、2025年6月28日閲覧 
  17. ^ 長谷川善和、北川博道、奥村よほ子、立川裕康、田中源吾、髙桒祐司、吉澤石灰工業株式会社栃木県栃木市鍋山町の採掘場より産出したナウマンゾウについて」『群馬県立自然史博物館研究報告』第16号、群馬県立自然史博物館、2012年2月22日、49-70頁、2025年6月28日閲覧 
  18. ^ a b 信濃町産業観光課 (2020年1月20日). “野尻湖発掘とナウマンゾウ part 1”. 信濃町. 2025年6月10日閲覧。
  19. ^ a b 三枝春生(著)、兵庫県立人と自然の博物館(編)「ナウマンゾウの祖先をエチオピアで掘る」(pdf)『人と自然のワンダーランドへ、ようこそ』、神戸新聞総合出版センター、2023年3月、1-6頁、2025年6月10日閲覧 
  20. ^ 川崎悟司. “ナウマンゾウ”. 古世界の住人 - 川崎悟司イラスト集. 2025年6月10日閲覧。
  21. ^ a b c Luna Subito「原宿のナウマンゾウを思う。【東京都渋谷区】」『』Yahoo!ニュース、2022年1月14日。2025年6月11日閲覧。
  22. ^ 高橋 2022, p. 18.
  23. ^ a b 高橋啓一 著、化石研究会 編『ナウマンゾウは津軽海峡を泳いで渡ったか朝日新聞出版、2011年4月8日、136-139頁。 ISBN 4-022-59977-4https://kaken.nii.ac.jp/ja/grant/KAKENHI-PROJECT-21540490/ 
  24. ^ 長谷川善和氏(日本列島2000万年の進化史―とくに日本産哺乳類化石に関する研究)”. 日本哺乳類学会. 2025年6月12日閲覧。
  25. ^ 冨田 2002, pp. 193.
  26. ^ 高橋 2022, p. 5.
  27. ^ 亀井 2000, pp. 211–213.
  28. ^ Adrian M. Lister、Anthony J. Stuart (2019-01-18). “The extinction of the giant deer Megaloceros giganteus (Blumenbach): New radiocarbon evidence”. Quaternary International英語版 500: 185–203. doi:10.1016/j.quaint.2019.03.025. 
  29. ^ 高橋 2022, p. 127-128.
  30. ^ 吉岡郁夫「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」『比較民俗研究』第20巻、比較民俗研究会、2005年10月30日、77-84頁、 ISSN 091574682025年6月11日閲覧 
  31. ^ 畑中章宏 (2017年3月8日). “① 象のきた道”. 道路の民俗学(自動運転の論点). 2025年6月11日閲覧。

参考文献

外部リンク


ナウマンゾウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 20:20 UTC 版)

田端 (東京都北区)」の記事における「ナウマンゾウ」の解説

1896年日本鉄道の上野駅と王子駅の間に田端駅開設された。2年後1898年駅構内の崖を削り役宅造成した際に、ゾウ類の牙(切歯)の化石発見され東京帝国大学理学部地質学教室持ち込まれた。大学院生当時)だった徳永重康翌年にかけて現地調査し、海成砂層(東京層)とローム層挟まれる青灰色粘土層(本郷層)から臼歯2本を採集した徳永はこれらを記載した論文1906年発表した。これは日本人の手による最初脊椎動物化石研究であり、専門家の手によって採集され産出層準等の情報とともに記載され脊椎動物化石としても日本初であった徳永ヨーロッパのアンティクースゾウ (w:en:Straight-tusked Elephant) のものとしたが、現在では独立種ナウマンゾウのものであることがわかっている。これらの標本犬塚則久によって再研究され、若いオスのナウマンゾウの左下第一大臼歯右下第一大臼歯、および左切歯であると同定されている。このナウマンゾウ田端標本東京大学総合研究博物館保管されレプリカ北区飛鳥山博物館展示されている。

※この「ナウマンゾウ」の解説は、「田端 (東京都北区)」の解説の一部です。
「ナウマンゾウ」を含む「田端 (東京都北区)」の記事については、「田端 (東京都北区)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「ナウマンゾウ」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ

ナウマンゾウ

出典:『Wiktionary』 (2021/08/20 13:44 UTC 版)

語源

ドイツ地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって発見されことによる

名詞

ナウマンゾウナウマン

  1. 分類学一般》 ゾウ目(wp)ゾウ科(wp)パレオロクソドン(wp)分類される絶滅長鼻類一種学名:Palaeoloxodon naumanni



固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ナウマンゾウ」の関連用語

ナウマンゾウのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ナウマンゾウのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのナウマンゾウ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの田端 (東京都北区) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。
Text is available under Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA) and/or GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblioに掲載されている「Wiktionary日本語版(日本語カテゴリ)」の記事は、Wiktionaryのナウマンゾウ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、Creative Commons Attribution-ShareAlike (CC-BY-SA)もしくはGNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS