ナウマン‐ぞう〔‐ザウ〕【ナウマン象】
ナウマンゾウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 09:49 UTC 版)
ナウマンゾウ | |||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]()
ナウマンゾウの化石(複製)
|
|||||||||||||||||||||||||||
地質時代 | |||||||||||||||||||||||||||
中期 - 後期更新世 | |||||||||||||||||||||||||||
分類 | |||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Palaeoloxodon naumanni (Makiyama, 1924) | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
|
|||||||||||||||||||||||||||
和名 | |||||||||||||||||||||||||||
ナウマンゾウ | |||||||||||||||||||||||||||
英名 | |||||||||||||||||||||||||||
Naumann's elephant |
ナウマンゾウ(Palaeoloxodon naumanni)は、約33万年前(中期更新世)から約2万4000年前または約1万5000年前(縄文時代始期前後)までの日本列島に、またはユーラシア大陸にも生息していたパレオロクソドン属のゾウである[1][2]。後期更新世の日本列島に棲息した長鼻目は本種とケナガマンモスのみであり、日本列島産の化石長鼻目およびヤベオオツノジカやハナイズミモリウシと共に日本列島に分布した陸棲のメガファウナでも特に有名な種であり[3]、本種とステゴドンは日本列島の長鼻目の代表格とされている[4]。
分類
長鼻目ゾウ科に属し、現生のアジアゾウと近縁である。今日一般的に受け入れられている学名は Palaeoloxodon naumanni である。分類においては、アンティクースゾウが日本列島に分布していた可能性の是非などナウマンゾウ以外の化石長鼻目の自然史についても不確定な要素も多かったため[6]、トロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス/ステップマンモス)などの他の日本列島産の化石長鼻目との混同などが発生してきた[7]。現在[いつ?]ではパレオロクソドンをアフリカゾウ属の亜属とする見解の研究者はおらず、亜属として扱う際にはアジアゾウ属の亜属とする。その見解からは本種もアジアゾウ属に分類され、学名も Elephas naumanni または Elephas (Palaeoloxodon) naumanni とされることもある。また、地球史上最大の陸棲哺乳類の一角であり日本列島にも分布していたとされることもあるナルバダゾウ(ナマディクスゾウ)や、大型種であるアンティクースゾウと近縁であるという説が発表されたこともあったが、一方で別の大型種のレッキゾウを先祖に持つという指摘も存在する[8]。
なお、同じく絶滅したゾウ科動物のマンモスは独立したマンモス属の総称だが、こちらもアジアゾウ属の亜属とされることがある。約120 - 65万年前に日本列島に生息していたトロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス/ステップマンモス)を、通常はケナガマンモスの古い祖先であるとみなされている一方で、ナウマンゾウの一種であると主張する学者もいる。化石種の標本の種分類には混同や混乱、再評価が発生し得るため、ナウマンゾウやケナガマンモスの化石に関してもアルメニアゾウ、トロゴンテリーゾウ(ムカシマンモス / ステップマンモス)、ナルバダゾウ等との混同や混乱が見られた。各地で採取された(近年ではナウマンゾウの変異またはシノニムであるとも考えられる)標本にも「アオモリゾウ(七戸象)」「セトゾウ」「トクナガゾウ」「フカウラゾウ」「ヤベゾウ」「ワカトクナガゾウ[9]」などの別称が付けられ、これらの中には報告当時はナウマンゾウとは別種であるとされていたものも含まれている[4][10]。
ユーラシア大陸産のパレオロクソドンには中国や台湾に生息していた P. huaihoensis(英語版)の様にナウマンゾウの亜種またはシノニムと考えられていた種類が存在したり、宮古島で発見された E. shigensis も研究者によってはナウマンゾウ自体と見なされていたなど、日本列島以外におけるナウマンゾウや直接の祖先や関連種と他の長鼻目の関連性などには異説や異論が存在してきた歴史があり、以前はナウマンゾウ自身も南西諸島や台湾に分布していたと考えられていた[4]。
学名
本種の学名の変遷を以下に示す。
- Elephas namadicus naumannni 槇山次郎(1924):記載論文[7]
- Loxodonta (Palaeoloxodon) namadicus naumannni 松本彦七郎(1924):Palaeoloxodon 亜属の新設と移行
- Palaeoloxodon namadicus naumannni 鹿間時夫(1937):Palaeoloxodon を亜属から属に変更
- Palaeoloxodon naumanni 亀井節夫(1978):野尻湖での発見などから独立種と判断
特徴

推定される雄の成獣の大きさは肩高2.4 - 3メートル、体長5-6メートル、体重5トン前後であり、現生のアジアゾウよりもやや小型であり、パレオロクソドン全体でも比較的に小型である[2][11][12]。温帯を好む南方系の種類とされる一方で、氷期の寒冷な気候に適応するために皮下脂肪が発達し、全身は体毛で覆われていたと考えられている。最大の特徴として頭蓋骨上の頭頂部の隆起があり、頭部のシルエットがベレー帽を思わせるほどに突き出ていたとされている[13][14]。
牙(門歯)が発達しており、雄では長さ約240センチメートル、直径15センチメートルほどに達した。この牙は小さいながらも雌にも存在し、長さ約60センチメートル、直径は約6センチメートルであった[15]。また、(牙の)外側から内側へのねじれの様な湾曲も特徴的である[13]。
落葉広葉樹と針葉樹を含む温帯や冷涼な地域の森林がとくに重要な生息地であり、歯の化石の摩耗から樹皮や小枝などの粗い植生を餌としていたと推測される[2][9]。
分布

本種が出現したのは約34万年前とされており、ケナガマンモスとは異なり、やや寒冷な気候にも対応していたものの温帯を好む南方系の動物だった。寒冷期でユーラシア大陸と日本列島の間に陸橋が形成された約43 - 30万年前に他の大陸産の動物相と共に朝鮮半島や中国の南部を経由した列島への渡来があったと考えられており、これはサハリンを経由して北海道に到達したケナガマンモスとは異なる[11][16]。ユーラシア大陸からもナウマンゾウとされる化石の発掘例があるが、日本のナウマンゾウと同種であるかどうかは今のところ不明である。
現在の北海道から九州までの日本列島の広範囲に分布しており、低地だけでなく海抜1,000メートルを超える高地にも生息しており、現在の瀬戸内海からも多数の標本が発見されている[17]。後期の通り、北海道という生息地をケナガマンモスと共有または入れ替わりで利用しており、ナウマンゾウが津軽海峡(ブラキストン線)を越えたのに対してマンモスが本州に到達したという記録は存在しない[18]。しかし、約2万年前頃から衰退し約1万5000年前の新生代・後期更新世に絶滅したとされる[2][14]。
発見


最初の標本は明治初期に横須賀で発見され、東京帝国大学(現・東京大学)地質学教室の初代教授だったドイツのお雇い外国人ハインリッヒ・エドムント・ナウマンによって他の日本列島の複数の化石長鼻目と共に報告、報告され、ナウマンの後任としてダーフィト・ブラウンスもこれらの研究に携わった[19][20]。その後1921年(大正10年)には浜名湖北岸の工事現場で牙・臼歯・下顎骨の化石が発見された。
京都帝国大学理学部助教授の槇山次郎は、1924年(大正13年)にそれがナルバダゾウの新亜種であるとしてこれを模式標本(模式地は遠江国敷知郡伊佐見村佐濱、現在の静岡県浜松市中央区佐浜町)とし、日本の化石長鼻類研究の草分けであるナウマンに因んでElephas namadicus naumannniと命名した[7]。これにより和名は「ナウマンゾウ」に決定した。
1962年(昭和37年)から1965年(昭和40年)まで長野県の野尻湖畔に位置する立が鼻遺跡(野尻湖遺跡群)で実施された4次にわたる発掘調査では、大量のナウマンゾウの化石が見つかった。それまでは本種は熱帯性の動物で毛を持っていないと考えられていたが、野尻湖での発掘により、やや寒冷な気候下でも生息していたことが判明した[21]。
1976年(昭和51年)、東京の地下鉄都営新宿線浜町駅付近の工事中に、地下約22メートルの地点から3体のナウマンゾウの化石が発見された。この化石は浜町標本と名付けられ、頭蓋や下顎骨が含まれている。出土地層は約1万5000年前の上部東京層である[1]。他にもナウマンゾウの化石は、東京都内だけでも田端駅、日本銀行本店、明治神宮前駅および北青山遺跡[16]、原宿駅および神宮橋[16]、東京洋菓子倶楽部付近[12]、など20箇所以上で発見されている。
1998年(平成10年)、北海道湧別町東芭露(ひがしばろう)の林道沿いの沢で奇妙な形の石を隣村から山菜取りに来ていた漁師が発見し湧別町教育委員会に寄贈した。同委員会は札幌の北海道開拓記念館に石(化石)の調査を依頼した。北海道ではケナガマンモスは6 - 4万年前に、ナウマンゾウは約12万年前に生息していたと考えられていたので、約35,000年前のマンモスの臼歯化石であると発表された。しかし、2002年(平成14年)に滋賀県立琵琶湖博物館の鑑定でナウマンゾウのものであり、北海道でもマンモスと入れ替わりながらナウマンゾウが津軽海峡(ブラキストン線)を越えて生息していた新しい事実が明確になった[18]。
人との関わり


千葉県印旛村(現在の印西市、1966年(昭和41年)発見、国立科学博物館収蔵)や、北海道広尾郡忠類村(現在の中川郡幕別町、1969年(昭和44年)発見、北海道開拓記念館収蔵)から骨格の化石が発掘されている他、日本各地から断片的な化石が発見されている。
岩手県一関市花泉町や長野県上水内郡信濃町の野尻湖畔や、からはナウマンゾウやヤベオオツノジカやハナイズミモリウシ(ステップバイソン)などの化石と共に旧石器時代の石器や骨器が発見されており(花泉遺跡や野尻湖遺跡群のキルサイト)[9]、これらの生物は当時の人類の狩猟の対象であったと考えられている。ナウマンゾウは国内においては約2万4千年前から1万5千年前にかけて絶滅したとされるが、これは日本列島に現生人類が現れた後期旧石器時代に該当する[1][2]。後期更新世と完新世初頭にかけて発生した陸棲のメガファウナの大量絶滅(第四紀の大量絶滅)において、絶滅した動物相にはナウマンゾウも含めてそれまでに幾度もの気候変動とそれによる植生の変化を乗り越えてきた種類も多いため、これらの生物の最終的な絶滅の背景には最終氷期に伴う生息環境の変化や個体群の隔離と断絶だけでなく、人類による狩猟圧などの悪影響が占める部分が小さくないと思われる[2][24][25][26]。
なお、大型の動物の歯や骨の化石は「龍骨(竜骨)」と呼ばれ、古くから収斂薬や鎮静薬などとして用いられてきた。奈良県の正倉院には「五色龍歯(ごしきりゅうし)」と呼ばれるナウマンゾウの臼歯の化石が宝物として保存されている。一方で、この「五色龍歯」は実際には上記の通り本種との関連性も指摘されてきて日本列島に分布していたとされることもあるナルバダゾウのものであるという指摘も存在する[22][23]。
脚注
- ^ a b c 古泉弘「武蔵野の開拓者」『東京都の歴史 (県史13)』竹内誠、池上裕子、加藤貴、藤野敦、山川出版社、2010年11月、10-16頁。ISBN 978-4-634-32131-1。
- ^ a b c d e f Roman Uchytel、Alexandra Uchytel. “Naumann's elephant”. Uchytel Prehistoric Fauna Studio. 2025年6月11日閲覧。
- ^ “特別展「氷河期展~人類が見た4万年前の世界~」”. TBSチケット(TBSテレビ) (2025年). 2025年6月9日閲覧。
- ^ a b c 鹿間時夫 (1975). 第二類 生物学・地学. 大塚裕之、冨田幸光. “Fossil Proboscidea from Taiwan (1)” (pdf). 横浜国立大学理科紀要 (横浜国立大学教育学部) (22): 13-35.
- ^ Biswas, Deep Shubhra; Chang, Chun-Hsiang; Tsai, Cheng-Hsiu (2024-07). “Land of the giants: Body mass estimates of Palaeoloxodon from the Pleistocene of Taiwan”. Quaternary Science Reviews (エルゼビア) 336: 108761. doi:10.1016/j.quascirev.2024.108761.
- ^ 松本彦七郎「日本産化石象の種類(略報)」(pdf)『地質学雑誌』第31巻第371号、日本地質学会、1924年9月20日、255-272頁、doi:10.5575/geosoc.31.371_255。
- ^ a b c 槇山次郎 (1923-08-01). “Notes on a Fossil Elephant from Sahamma, Tôtômi.” (pdf). Memoirs of the College of Science, Kyoto Imperial University. Ser. B (京都帝國大學・理學部) 1 (2): 255-264 2025年6月10日閲覧。.
- ^ 高橋 2022, pp. 13-14、183-184.
- ^ a b c 米田寛「花泉(金森)遺跡出土動物骨化石中の人類遺物とされた資料」(pdf)『岩手県立博物館研究報告』第42号、岩手県立博物館、2025年3月、1-10頁、 ISSN 0288-6308、2025年6月13日閲覧。
- ^ 高橋 2022, p. 5-14、20、24-28、183-184.
- ^ a b “甲府にもナウマンゾウがいた!”. 甲府市 (2022年8月22日). 2025年6月11日閲覧。
- ^ a b 山下信治、ユキイデ (2021年6月12日). “浜町にナウマンゾウの化石を取り戻せ!「浜町標本」プロジェクト、キックオフ!”. 中央区民マガジン. 2025年6月11日閲覧。
- ^ a b 信濃町産業観光課 (2020年1月20日). “野尻湖発掘とナウマンゾウ part 1”. 信濃町. 2025年6月10日閲覧。
- ^ a b 三枝春生(著)、兵庫県立人と自然の博物館(編)「ナウマンゾウの祖先をエチオピアで掘る」(pdf)『人と自然のワンダーランドへ、ようこそ』、神戸新聞総合出版センター、2023年3月、1-6頁、2025年6月10日閲覧。
- ^ 川崎悟司. “ナウマンゾウ”. 古世界の住人 - 川崎悟司イラスト集. 2025年6月10日閲覧。
- ^ a b c Luna Subito「原宿のナウマンゾウを思う。【東京都渋谷区】」『』Yahoo!ニュース、2022年1月14日。2025年6月11日閲覧。
- ^ 高橋 2022, p. 18.
- ^ a b 高橋啓一 著、化石研究会 編『ナウマンゾウは津軽海峡を泳いで渡ったか』朝日新聞出版、2011年4月8日、136-139頁。 ISBN 4-022-59977-4 。
- ^ 冨田 2002, pp. 193.
- ^ 高橋 2022, p. 5.
- ^ 亀井 2000, pp. 211–213.
- ^ a b 吉岡郁夫「龍の伝承,とくに東海地方の竜巻と台風について」『比較民俗研究』第20巻、比較民俗研究会、2005年10月30日、77-84頁、 ISSN 09157468、2025年6月11日閲覧。
- ^ a b 畑中章宏 (2017年3月8日). “① 象のきた道”. 道路の民俗学(自動運転の論点). 2025年6月11日閲覧。
- ^ 高橋 2022, p. 127-128.
- ^ 魚津埋没林博物館「ナウマンゾウとオオツノジカ」(pdf)『うもれ木(魚津埋没林博物館広報誌)』第41巻、魚津印刷株式会社、2014年7月7日、2025年6月9日閲覧。
- ^ Adrian M. Lister、Anthony J. Stuart (2019-01-18). “The extinction of the giant deer Megaloceros giganteus (Blumenbach): New radiocarbon evidence”. Quaternary International 500: 185–203. doi:10.1016/j.quaint.2019.03.025.
参考文献
- 冨田幸光『絶滅哺乳類図鑑』伊藤丙雄、岡本泰子、丸善、2002年、179 ,193頁。 ISBN 4-621-04943-7。
- 亀井節夫「「日本の長鼻類化石」とそれ以後」(pdf)『地球科学』第54巻第4号、地学団体研究会、2000年7月25日、211-230頁、doi:10.15080/agcjchikyukagaku.54.4_211。
- 高橋啓一、中嶋雅子「ナウマンゾウ研究百年」(pdf)『琵琶湖博物館研究調査報告』第35号、滋賀県立琵琶湖博物館、2022年12月、doi:10.51038/rrlbm.35.0_1。
外部リンク
ナウマンゾウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 20:20 UTC 版)
「田端 (東京都北区)」の記事における「ナウマンゾウ」の解説
1896年、日本鉄道線の上野駅と王子駅の間に田端駅が開設された。2年後の1898年、駅構内の崖を削り役宅を造成した際に、ゾウ類の牙(切歯)の化石が発見され、東京帝国大学理学部地質学教室に持ち込まれた。大学院生(当時)だった徳永重康が翌年にかけて現地で調査し、海成砂層(東京層)とローム層に挟まれる青灰色粘土層(本郷層)から臼歯2本を採集した。徳永はこれらを記載した論文を1906年に発表した。これは日本人の手による最初の脊椎動物化石の研究であり、専門家の手によって採集され産出層準等の情報とともに記載された脊椎動物化石としても日本初であった。徳永はヨーロッパのアンティクースゾウ (w:en:Straight-tusked Elephant) のものとしたが、現在では独立種ナウマンゾウのものであることがわかっている。これらの標本は犬塚則久によって再研究され、若いオスのナウマンゾウの左下顎第一大臼歯、右下顎第一大臼歯、および左切歯であると同定されている。このナウマンゾウ田端標本は東京大学総合研究博物館に保管され、レプリカが北区飛鳥山博物館に展示されている。
※この「ナウマンゾウ」の解説は、「田端 (東京都北区)」の解説の一部です。
「ナウマンゾウ」を含む「田端 (東京都北区)」の記事については、「田端 (東京都北区)」の概要を参照ください。
ナウマンゾウ
固有名詞の分類
- ナウマンゾウのページへのリンク