鹿間時夫とは? わかりやすく解説

鹿間時夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 18:04 UTC 版)

鹿間 時夫
人物情報
生誕 (1912-06-06) 1912年6月6日
日本京都府
死没 1978年12月12日(1978-12-12)(66歳没)
出身校 東北帝国大学
学問
研究機関 新京工業大学、横浜国立大学
学位 理学博士
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鹿間 時夫(しかま ときお、1912年6月6日 - 1978年12月12日)は、日本古生物学者

経歴

出生から修学期

1912年、京都府で生まれた。旧制成蹊高等学校を経て、東北帝国大学理学部に進学。1931年から1939年にかけて、栃木県葛生町周辺に広く分布する古生代石灰岩の割れ目にたまった第四紀の堆積物の中から発見された化石を調査。東北帝国大学理学部を卒業[1]

古生物学者として

1942年、満洲国新京工業大学教授[1]に就任。

戦後は1947年から3年間、長野県飯田高松高校教諭として勤務[1]。このとき直接の影響を受けた卒業生には長谷川善和鎮西清高、加賀美英雄(海洋地質学)、山田哲雄(岩石学)、松島信幸(日本地質学会名誉会員)がいる[1]。ほか、本多勝一(ジャーナリスト)や富永明夫(仏文学者)、近藤信道(画家)もその時期の教え子であった[1]。1950年、横浜国立大学教授に就任[1]。1950年、学位論文『葛生層の地質学的古生物学的研究』を東北大学に提出して理学博士の学位を取得[2]

1971年、日本古生物学会会長に就任[1]。1978年、日本古生物学会名誉会員となった[1]。同年12月に死去。享年66[1]

研究内容・業績

古生物研究
こけし研究家
  • こけし研究家でもあり[7]、こけし関係の著書も多い。特に監修および執筆・編集した『こけし辞典』(1971年、東京堂出版)は空前前後のものであった。

著作

著書
論文

外部リンク

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 本多勝一本多勝一集2 旅立ちの記』(第1刷)朝日新聞社、1993年12月5日、505-506頁。ISBN 9784022567529https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=806 
  2. ^ CiNii(学位論文)
  3. ^ 理学部サイエンス展示 資料標本類が語る理学部100年の記憶
  4. ^ シカマイア - 国立科学博物館
  5. ^ 觜本格、前田保夫. “神戸の地層を読む 2 - アカシ象の時代の神戸の自然”. 神戸の自然シリーズ. 神戸市教育研究所、神戸市教育委員会(神戸市). 2025年6月18日閲覧。
  6. ^ 長谷川善和、奥村よほ子、片柳岳巳、北川博通、田中源吾「栃木県佐野市出流原片柳石灰採石場産の狼と象化石」(pdf)『群馬県立自然史博物館研究報告』第17巻、群馬県立自然史博物館、2013年3月13日、61-70。 
  7. ^ 「こけし手帖第五十四号」 -戦地に行ったこけし-




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