シカマシフゾウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/17 17:01 UTC 版)
シカマシフゾウ | |||||||||||||||||||||||||||
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分類 | |||||||||||||||||||||||||||
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学名 | |||||||||||||||||||||||||||
Elaphurus shikamai Otsuka, 1968 | |||||||||||||||||||||||||||
シノニム | |||||||||||||||||||||||||||
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和名 | |||||||||||||||||||||||||||
シカマシフゾウ |
シカマシフゾウ(鹿間四不像 Elaphurus shikamai)は、中期更新世(190万 - 80万年前)に日本列島に生息していた哺乳綱偶蹄目シカ科シフゾウ属の動物。日本列島には本種とマヤシフゾウ(E. mayai)などの複数の同属が日本列島に分布した[1][2]。
概要
角が根元から高い位置(15センチメートル程度)で分岐し、前後の枝がさらに分岐するという角構造を持つ。ユーラシア大陸に分布した E. bifurcates の亜種とされることもあるが[3]、現生のシフゾウと同様の角表面の粗い彫刻を持つことから E. bifurcates とは区別される[4]。
タイプ標本は兵庫県の大阪層群林崎粘土層(約130万年前)産の落角であり、同県・明石市の西八木遺跡[5]にて鹿間時夫によって発見されたことが和名の由来になった[6]。その他、東京都西部の上総層群(190万 - 160万年前)、近畿地方の大阪層群(130万 - 100万年前)、千葉県の上総層群(100万 - 80万年前)から合わせて十数例が発見されている[4]。東京都八王子市からは頭骨付角化石が発見されている[7]。
岩手県の花巻市博物館の敷地から発見された足跡の化石も本種に由来する可能性があり、宮沢賢治によって命名された同市の「イギリス海岸」に産する足跡も本種または他のシカ類との類似性を示している[8]。
脚注
- ^ 髙桒祐司、西田民雄、長谷川善和「マヤシフゾウ Elaphurus mayai の頭部の復元」(pdf)『群馬県立自然史博物館研究報告』第3号、群馬県立自然史博物館、1999年、77-80頁、ISSN 13424092。
- ^ “Elaphurus 属”. 日本古生物標本横断データベース. 2025年6月18日閲覧。
- ^ Wei Dong, Qi Wei, Weipeng Bai, Limin Zhang, Wenhui Liu, Zheying Chen, Yongbing Bai, Yongchun Wu (2019-06-10). “New material of the Early Pleistocene Elaphurus (Artiodactyla, Mammalia) from North China and discussion on taxonomy of Elaphurus” (pdf). Quaternary International (エルゼビア) 519: 113-121. doi:10.1016/j.quaint.2018.05.015. ISSN 1040-6182.
- ^ a b 小泉明裕「東京西部の三〇〇~一〇〇万年前頃にいた哺乳類や鳥類を探る」『多摩の歩み』第167巻、たましん地域文化財団、2017年8月15日、26-37頁。
- ^ “明石の遺跡 - 西八木遺跡”. 明石市. 明石市市民生活局歴史文化財担当、明石市役所. 2025年6月18日閲覧。
- ^ 觜本格、前田保夫. “神戸の地層を読む 2 - アカシ象の時代の神戸の自然”. 神戸の自然シリーズ. 神戸市教育研究所、神戸市教育委員会(神戸市). 2025年6月18日閲覧。
- ^ 小泉明裕「東京都八王子市の下部更新統から日本初産出のシカマシフゾウ頭骨化石」(pdf)『日本第四紀学会講演要旨集』第38号、日本第四紀学会、2008年8月20日、68-69頁。
- ^ 糸魚川淳二「宮沢賢治の「イギリス海岸」産足跡および生痕化石」(pdf)『豊橋市自然史博研報』第14号、豊橋市自然史博物館、2004年、9-14頁。
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