動物図鑑
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1959年、薮内は福音館書店に入社し松居宅に下宿した。当時の福音館書店は小さな会社で、同僚に今江祥智や水口健などがいて、仕事場である編集部は千代田区水道橋の木造民家の2階で、1956年に創刊された月刊絵本こどものともや月刊誌『母の友』、絵本、児童書などの編集が進行していた。その傍らで薮内の動物画修行は始まった。国立科学博物館の今泉吉典のもとに通って指導を受けながら動物の骨格や剥製のデッサンを繰り返して動物の骨格や筋肉の動きを学び、動物図鑑の標本画を描く力をつけていく。国立科学博物館と上野動物園に通う日々が続いた。1年の地道な努力の末、薮内は動物図鑑の挿絵画家としての技量を習得していた。1960年に今泉が著した『原色日本哺乳類図鑑』(宮本孝 画、保育社)では歯や耳介の凸版画を描いている。1962年には鯨類学者西脇昌治が著し薮内が挿絵を描いた『鯨類・鰭脚類』が脱稿上梓。小原秀雄、今泉吉典による『世界哺乳類図説〈食虫目・皮翼目〉』と『世界哺乳類図説〈単孔目・有袋目〉』も脱稿。 しかし1964年、福音館書店の「世界哺乳類図説」は企画半ばで中止となる。当時まだ小さな出版社だった福音館書店は、絵本出版に全力を注ぐべきであり、網羅的な動物図鑑という大事業にさく余力はないという経営判断によるものだった。松居はすでに脱稿していた部分については稿料を払った上で執筆者に原稿をゆだねた。 動物図鑑のために描かれた薮内の挿絵はしばらく日の目を見なかったが、やがて『鯨類・鰭脚類』が東京大学出版会から1965年9月に出版される。1966年には、動物学者小原秀雄、今泉吉典による『世界哺乳類図説』の〈食虫目・皮翼目〉編と〈単孔目・有袋目〉編が新思潮社から出版される。 また1979年に、これらの延長上に企画された鹿間時夫著『古脊椎動物図鑑』も薮内の挿絵で出版される。
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