おだ‐のぶかつ【織田信雄】
織田信勝(おだ のぶかつ) ????~1557
◇父:織田信秀 室:和田備前守女 子:織田信澄、勝三郎信糺、新八郎信兼
尾張・織田氏一族にて尾張・末盛城主。通称信行。1558年林秀貞、柴田勝家らと共に、当主の兄信長に取って代わろうとし逆らうが、稲生で敗れる。戦後、信長に許されるも、以後勝家が信長に接近し、信行に謀反の意志ある旨告げたことから、信長に呼び寄せられて謀殺された。
織田信雄(おだ のぶかつ) 1558~1630
◇父:織田信長 養父:北畠具房 室:北畠具教女、木造具政女、織田長利女 子:織田三法師秀雄、但馬守高雄、因幡守信良、出雲守高長、信為、良雄、長雄
尾張・織田信長2男。信長の伊勢・北畠氏侵攻に伴いその養子に入り、伊勢衆を率いて各地を転戦する。本能寺の変で父が殺されるとすぐには信じず、遅まきに近江まで出陣するが、何を思ったか信長の遺産安土城に火を付ける暴挙に走ったともいわれる。その後羽柴秀吉の援けを受け、次弟信孝と争いこれを自刃させた。その後徳川家康と組んで秀吉と小牧、長久手の戦いを争うが、家康に無断で秀吉と和してしまう。以後、越中攻略、小田原攻め等に参加するが、秀吉とは不仲でその死後は家康に傾倒し、1615年大和上野5万石を得る。だが、家康旧領への転封を拒否して所領没収されている。凡庸であったおかげで天寿を全うした。まぁ有能だったら天下を継いでいたかもしれんが…
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