織田一門とは? わかりやすく解説

織田一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 14:02 UTC 版)

麒麟がくる」の記事における「織田一門」の解説

織田信長おだ のぶなが) 演:染谷将太 尾張大名織田弾正忠家織田信秀嫡男として生まれ、跡を継いで当主となる。尾張那古野城主、清須城主、小牧山城主、美濃稲葉山城主、岐阜城主、近江安土城主。通称三郎三介弾正忠武家官位として上総介巷では「うつけ」と噂されているように武家嫡男としては奇矯振る舞いが多いが、信長自身にとっては合理的な理由があり、光秀や妻になった帰蝶など見る人によってはそこに器の大きさ才覚感じさせている。「聖徳寺会見」では利政に器を見込まれ性質気に入られお互いに好印象を抱く。 父母愛情飢えており、褒められることを期待して行為に対して叱責されたり呆れられたりすることを嘆いている。桶狭間の戦い今川軍から勝利を収めた際には光秀から称えられ喜び表情見せ帰蝶に関して何をしても褒めてくれるので母のように感じていることを告げているほか、上洛後御所再建援助し正親町帝に褒められた際には大喜びしているように、「褒められること」「喜ばれること」が自身活動の強い動機になっており、戦もその延長にある。 10年来争っていた斎藤龍興破って美濃手中にし、稲葉山城を拡げて岐阜城を置く。そして光秀通じて足利義昭を新将軍として擁立し、鎧をまとわぬ自軍率いて上洛する。幕府と京の町の再建けん引するが、幕府改革断行しようとしたために義昭率い幕府内部、特に摂津晴門対立するようになり、朝倉義景浅井長政らと戦うことになる。 主要な戦いで勝利を収め天下統一へと近づいてゆくが、義昭追放し朝廷蔑ろにするなど、次第性急な専横ぶりが各方面から反発を招くようになる。それらを抑えつけるべく比叡山などでおこなった苛烈無慈悲な仕打ちが、また新たな怨嗟を呼ぶという悪循環に陥り、ますます孤立深めてゆく。そして、義昭殺害命じた事が決定打となって遂に光秀にも離心され、京の本能寺にて襲撃を受ける。 押し寄せた軍が明智勢と聞かされると「是非もなし」と笑い応戦する能わず、寺に火をかけ焼き尽くすよう森蘭丸命じた後、光秀出会い理想語り合った若かりし日々懐かしく思い起こしながら自刃して果てる帰蝶(きちょう) 演:川口春奈 信長正室斎藤利政の娘、光秀父方従妹男勝りな性格をしているが、光秀とは幼い頃から仲が良い初め土岐頼純正室となるが、夫が急死したため斎藤家に戻る。 斎藤家敵対していた織田家からの申し入れによって、光秀のことが気になりながらも、当の光秀奨めもあり信長正室となる。信長とは夫婦仲良く周囲誤解されがちな信長支えとなる。織田家中にあっても自ら策謀巡らし兵站手配し信長嫡男であるが帰蝶実子ではない奇妙丸養育任される信長天下統一果たそうとするに連れて専横な振る舞いが目立つようになって以降信長から次第離れ安土城去り美濃鷺山城で暮らすようになる。目を病む身となり、曲直瀬道三による治療のため京を訪れていた際に光秀再会信長行く末を案じる光秀に、信長作った者が始末をするほかないと告げる。 織田信忠おだ のぶただ) 演:井上瑞稀幼少期加藤矢紘 → 柴崎楓雅信長嫡男生母吉乃幼名奇妙丸(きみょうまる)。 信長桶狭間出陣する直前帰蝶初めて引き会わされる以降帰蝶養母となり、その元で養育される。元服して信長の後継者となるが、本能寺の変の際には信長と共に在京しており、新二条御所逗留しているところを明智勢に攻められ討ち死にする織田信秀おだ のぶひで) 演:高橋克典 信長の父。織田弾正忠家当主尾張古渡城主、のち末盛城主。通称弾正忠、のち備後守尾張守護斯波家守護代である織田家庶流陪臣にすぎなかったが、熱田はじめとする海に面した水運力と、主要街道という地の利恵まれた流通力をもって、国を経済的に富ませ勢力拡大させた。京の御所修繕に4,000貫を寄進している。 美濃斎藤利政駿河今川義元だけでなく、同族である清須城尾張守護代・織田彦五郎とも激しく対立していたが、美濃稲葉山城攻略の際に井ノ口の戦い大敗して、弟や多く家臣を失う。その後も戦を繰り返したが、三河にて今川軍小豆坂の戦い深手負ったこと、美濃大柿城の援軍のため出陣した隙に彦五郎から古渡城急襲されたうえ大柿城も失ったことから、斎藤家同盟を結ぶことを決め信長帰蝶結婚申し入れる亡き父・信定の「器量良し悪しよりも天が与えた順序」の教えで、嫡男信長家督を譲ることを決めている。那古野城信長末盛城を信勝に譲ることを遺言する望月東庵とは双六仲間10貫を貸している。東庵との双六楽しみにしていたが、戦傷後遺症晩年体調崩し、東庵が登城する直前に息を引き取る土田御前(どたごぜん) 演:檀れい 信長と信勝の生母信秀継室信長自身に向ける行動真意がくみ取れず幼少の頃から小鳥逃がした茶器割ったりと、自分大切なものを奪うとして信長疎んじ信勝を偏愛している。 信勝が死に追いやられた際は、母をも殺したとして信長悲憤をぶつける。 織田信勝おだ のぶかつ) 演:木村了 信長同母弟。 兄・信長違い聡明跡継ぎ相応しいと評価されており、信秀からは居城重臣譲り受ける信長病床付いた騙され見舞い訪れお互いに相手美点羨んでいたことを明かし合うが、信長毒殺企てていたのを見透かされており、白山霊水として自らが持ち込んだ毒を飲まされ死に追い込まれる織田信広おだ のぶひろ) 演:佐野泰臣 信長異母兄信秀庶長子三河安城城主安城城戦いで今川軍捕らえられ松平竹千代との人質交換織田家に戻るが、奮闘苦労の跡もなく無傷であったことで信秀落胆させる織田信興おだ のぶおき) 演:増本尚 信長の弟。尾張小木江城主。 長島一向一揆本願寺門徒攻められ自害する織田信康おだ のぶやす) 演:清家利一 信長叔父信秀の弟。通称与次郎信秀とともに美濃出征するが、井ノ口の戦い戦死する織田信光(おだ のぶみつ) 演:木下ほうか 信長叔父信秀信康の弟。尾張守山城主。 兄・信秀よりも器量優れ跡継ぎ目されたこともある。 斯波義統暗殺後織田彦五郎から、信長反して自分与するよう誘いを受ける。帰蝶談合の上誘い乗る見せかけ招かれ清須城内で彦五郎暗殺する

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織田一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 02:19 UTC 版)

センゴク」の記事における「織田一門」の解説

織田信長おだ のぶなが) 声 - 安元洋貴パチンコ通称上総介織田弾正忠上様大納言叙任後)。織田弾正忠家当主にして、織田一門の総帥存在。「時代愛し天下寝取る」と謳い戦国乱世に覇を唱えんとする政略・戦略において他の追随を許さない天才性と、万人畏怖させる冷酷な狂気併せ持つ人間的に繊細不器用な人物であり、それを理解する家臣達とは確かな絆で結ばれている。髪型当初総髪であったが、長篠の合戦最中月代剃っている。また時折尾張弁で話す事がある物語後半から身体の衰え感じ、心にも迷い生じつつある姿が描かれた。 信長包囲網の中で幾多もの死地直面する度に苦心砕身限りを尽くし覇者の才を覚醒させ成長していく。第二部ではその狂気才覚増幅させ、宿敵であった武田家破り本願寺降伏追い込んで遂に包囲網崩壊させる嫡男信忠家督譲ってからは前線赴く事は少なくなり、重臣達を各方面司令任命して居城である安土城から天下統一向けた戦略進めていく。意外に煩悩部分があり、甲州征伐の際には孫の三法師土産物渡していた。 第三部では自らの下剋上思想乱世終焉と共に転びへ向かう事を予見し、誰も望まない次の戦争求めて唐入りへと突き進む。その途上光秀による本能寺の変起きると若干悔い覚えるが、宿敵達の辿った滅びを自らも受け入れる。最期崩れ落ちる本能寺高笑いして切腹し我が身起きた下剋上堪能しながら生涯終えた遺体劫火包まれた後、本能寺崩壊巻き込まれる外伝桶狭間戦記』における主人公一人で、その幼少期から青年期描かれている。作者は「オンリーワン権兵衛にたいしてのナンバーワンとしてのもう一人主人公」としている。第一部2巻寸評史上最も苛烈にして、最も繊細な第二部2巻寸評史上最も強悍にして、最も壮絶な織田信忠おだ のぶただ通称勘九郎、城介、岐阜中将左近衛中将叙任後)。父からは奇妙とも呼ばれていた。信長長男留守任されるなど父の信任もあり、武田信玄の五女・松姫と婚約していたが両家同盟決裂に伴い解消された。第二部では信長大納言就任に伴い家督譲られ甲州征伐では父の代理として総大将務めた青年期迎え風貌若き日の信長瓜二つとなっている。高遠城戦いで馬廻り衆を連れて大将自ら突撃する勇猛さ見せ信長を驚かすのみならず武田家崩壊一手になるなど武功立てる。下克上織田家にあって世襲による継承潔しとせず、実力重臣達を従わせる決意固めている。 第三部では、父の唐入り合わせて国内統治権限与えられるが、依然として実力家督継承するべく意欲燃やし、父とも諍いの道を選ぶ。その本意は父と同じ生き方をする事であり、信長への敬慕根底にある。その事本能寺の変迷わず父への後詰め準備行い、父の自刃知ってなお明智軍一戦交えようした事で示された。鎌田新介説得二条城へと戻ると重臣達との合流進言されるが、実力家督を奪うに至らなかった自分では単に重臣達の飾りとなるに過ぎない拒絶する父の死によって下剋上に耐え続けてきた重責初め理解し、「信長の子」に相応し最期として馬廻り衆と二条城立て籠もった末、織田家当主として切腹した。 織田信雄おだ のぶかつ通称三介、後に内大臣家族からは幼名茶筅とも呼ばれている。信長次男で『一統記』より登場その時養子先北畠姓を名乗っていたが後に復姓した。風貌信忠同じく父に似通っているが、父や兄と違い将器は全く引き継いでいないと思われた。性格尊大高圧的に振舞う上、情勢対す理解力乏しく父の死後見当違い行動取り続けた。「意味がわからん」が口癖三法師後見人になることを信じて疑っていなかったが、清洲会議では諸将支持得られず信孝に敗れ国分けでは織田家本領尾張分配される家臣に過ぎない秀吉が幅をきかせている事を忌々しく思っているが、弟・信孝と不仲なこともあり秀吉口車に乗せられ賤ヶ岳の戦い」では羽柴派の名代擁立されるも、柴田軍が動けない冬季足場固めようとする秀吉意に反して冬季出陣を見送るなど相変わらず秀吉にも呆れられていた。戦後三法師(後の秀信)の後見人になるも直後嫡男三法師(後の秀雄)が誕生したことで秀吉から「当主すげ替え疑い」をかけられ後見人地位剥奪されるその場大人しく従ったが“窮地追い込まれてこそ滾る織田の血”に目覚め諌める側近謀殺し妹の義父家康手を結び秀吉反旗を翻す小牧・長久手の戦いでは同盟国であった徳川家勝利する長宗我部家との外交巡って亀裂秀吉和睦打診する秀吉との会談徳川家への意趣返しとして単独講和交渉行っていることを明かし、”信長の子として秀吉家康両雄を競わせたまで”とも語り秀吉に“信長公に似てきた”と言わしめた。秀吉からは領土大半割譲引き換え羽柴徳川間の仲介役の公卿となる和睦案を提示され三法師のために下克上階段降り正三位へ昇官、秀吉一家臣に納まったその後豊臣政権となってからは政権内では公家扱いとなっており、内大臣昇叙豊臣家公家衆仲介役となっている。 織田信孝おだ のぶたか通称三七信長三男一統記より登場しその時養子先神戸姓を名乗る痩せ気味の風貌をしていて、四国方面軍総大将抜擢され兄・信忠対抗意識抱いているが神経質な性格から大将風格欠けている。 山崎の戦いでは名目上総大将になった秀吉傀儡にされている事を感じとっており、戦後清洲会議の折には、かねてから不仲であった兄・信雄と互いの手勢が一触即発になる事態が起こるも、順当に三法師後見人選出され織田復姓国分けでは美濃分配された。しかし秀吉家中で幅をきかせて来ると反羽柴派の柴田滝川と共に秀吉糾合するも、「幼主三法師抱えこみの疑い」の口実により居城岐阜城包囲される秀吉横暴に激怒する側近達に諌められ、三法師親族人質出して一旦は和睦したが、信長の子として最後まで“簒奪者秀吉と戦う意志固める。しかし勝家敗れ秀吉踊らされている信雄を見て信長息子である自分達の無力さ恥じながら降伏裏切りであったため許されず、いずれ秀吉自分達と同じ憂き目に遭う予見しながら切腹した。 お市の方おいちのかた織田信長の妹にして浅井長政の妻。絶世の美女として名高く浅井家織田家同盟するにあたって長政嫁ぐ。非常に気が強く信長と共に天下人になった長政を裏で操ろうと画策していたが、信長との絆に嫉妬した長政信長裏切ったために不意に終わった憔悴してしまった長政奮い立たせるのに一役買うが、以降赤尾清綱屋敷幽閉される。小谷城落城寸前になると浅井市として生きる決意をするが、長政突き放され長政への愛に気付かされ涙ながらに織田家に戻る事になった一統記にて再登場し、清洲城三人の娘を育てていたが家中の二大勢となった羽柴家柴田家の誼を作るため、秀吉要請により柴田勝家再嫁した。しかし賤ヶ岳の戦い勝家敗れ北ノ庄城羽柴軍に包囲される勝家からは投降するよう勧められる勝家添い遂げるために拒み最期勝家の手殺害された。 秀吉からはその気性は最も信長似ている評され信長死後に信雄・信孝兄弟器量無さ挙げお市様が男子であればと言われるほどであった第一部15巻寸評戦国史上最も妖艶にして、傾城な女 初(はつ) お市長政次女。まだ幼いながら聡明で、茶々とは反対に政や世情精通している。その後姉・茶々から依頼受けた豊臣家斡旋により、名門京極家への嫁入り決定する。 江(ごう) お市長政三女織田秀信おだ ひでのぶ幼名三法師信忠嫡男で、信長の孫。生母側室鈴姫清洲会議にて信長信忠後継者たる織田家当主選出される織田信包おだ のぶかね通称上野介信長の弟で清洲城主。年長の兄達は皆、死去しているため織田一門の重鎮浅井家滅亡後お市浅井三姉妹保護しているがお転婆三姉妹には手を焼いている。清洲会議前後からは、羽柴派として行動しており秀吉一族衆連絡役などを担っており、秀吉が信孝・信雄と戦うことになった際も甥よりも秀吉派に組した。外見大徳寺所蔵織田信長肖像画酷似している。 織田信広おだ のぶひろ通称大隅守信長庶兄で、弟である信長の家臣伊勢長島包囲戦では一軍率いて陣する。しかし信長謀略激昂し一向宗軍の標的にされてしまい、防戦空しく戦死した外伝桶狭間戦記』にも登場織田信治(おだ のぶはる) 通称九郎信長の弟。浅井長政軍の急襲を受け、森可成とともに防戦するも叶わず戦死した織田信興おだ のぶおき) 通称は彦七郎信長の弟。伊勢長島一向一揆対陣していたが、一揆軍攻撃防ぎきれず自刃追い込まれた。 織田秀成(おだ ひでなり) 通称は半左衛門尉信長の弟。伊勢長島殲滅戦参加するが、逆襲転じた一揆軍襲われ、兄・信広に続いて戦死した織田忠寛(おだ ただひろ) 通称掃部助武田家との交渉役を務めており、度々甲斐下向している。三方ヶ原の戦い後は、信長指示信玄周囲探りをいれ、信玄死亡確認したお艶の方(おつやのかた) 美濃岩村城主・遠山景任未亡人で、遠山家養子入っていた信長の五男・坊丸を擁して城主の座についていた女丈夫信長叔母にあたるが信長より年下であり、武田信玄血縁はないと分析していた。信長恋焦がれており、岩村城包囲する秋山信友抗戦していた。城兵助命条件遂に降伏するが、逆に信友によって懐柔されてしまい、坊丸とともに武田方に寝返ってしまった。 その後は、本編では描かれていない織田軍の岩村城攻め遭い信友と共に処刑されている。 池田恒興いけだ つねおき) 通称は勝三郎秀吉などからは勝入という名で呼ばれることもある。「〜らっしゃい」が口癖(黙らっしゃいなど)。織田家重臣だが母が信長乳母であった事から信長とは乳兄弟であり後に義理の兄となっている。山崎の戦いの際には羽柴軍に合流しており、信長弔い合戦として高山中川らと先鋒務めた明智軍猛攻遭う戦後五人宿老一人として清洲会議出席し国分けにて大坂などが加増されている。「賤ヶ岳の戦い」では羽柴派に組して、戦後譜代家臣という立場から織田家本領に近い美濃への転封秀吉提案される実際秀吉大坂城築城のため)。当初難色示した秀吉との対立恐れ受諾する羽柴織田徳川連合軍小牧・長久手の戦い勃発地理的に美濃大名となった恒興が戦の鍵と両陣営認識される両軍から調略受けるも秀吉実力目の当たりにしていたことから羽柴家選び織田方の犬山城奇襲する徳川軍井伊隊を圧倒する活躍見せたが、長久手の戦いにおいて娘婿森長可討死受けて進退窮まった事を察する家督を元助から次男の輝政に移し、元助と共に奮戦するも最期永井直勝斬首された。

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織田一門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/28 03:15 UTC 版)

軍師官兵衛」の記事における「織田一門」の解説

織田信長おだ のぶなが) 演:江口洋介 織田家当主旧来の権威因習囚われない革新的な思考持ち主。 元は尾張一大名だったが勢力拡大し足利義昭奉じて上洛するが後に対立し各地反織田勢力結んだ義昭追放して室町幕府を滅ぼす。 西国進出企図していた頃に官兵衛の謁見を受け、名刀圧し切」を与えて厚遇する一方反逆者への苛烈処罰成果出さない古参家臣追放するなど冷徹な振る舞い危惧されるようになっていく。 安土城に居を構えてからは名実ともに天下人として振舞い海外進出への夢を膨らませていく。しかし、天皇に取って代わり自らが「王」になるという革新的な思想恐れた明智光秀謀反起こされ本能寺襲撃される。自ら武器持ち防戦する圧倒的な兵力差に為す術もなく、炎に包まれる部屋の中で幸若舞敦盛」の一節を謡い、自害し果てる。 お濃(おのう) 演:内田有紀 信長正室美濃旧国主・斎藤道三娘。本能寺の変信長とともに奮戦するも深手負い信長にとどめを刺され絶命する。 土田御前(どたごぜん) 演:大谷直子 信長信行の母。 若き日の信長が自らの手信行殺害して以降信長には心を閉ざしている。信長には礼節弁え態度をとられているが、会うたびに「お前は鬼か」と信長呪う言葉をかけている。信長松寿丸を殺すように指示出した際にも強烈な皮肉を信長突き付けた歳を重ねる度に信長対す怨嗟薄れ本能寺の変起き直前になり和解の道を探るようになる信長とお濃の3人で富士を見る約束取り付けるも、本能寺の変により約束実現和解叶うことがなくなった織田信行(おだ のぶゆき) 演:尾関伸嗣 信長の弟。 破天荒な性格の兄が人望得られなかった際、兄に代わって品行方正な性分買われ織田家当主候補として祭り上げられる。しかし病と偽った信長策略にかかり、信長自身の手によって殺害される現場には生母土田御前がいた事から、以降信長土田御前の仲は冷え切ってしまっている。 織田信忠おだ のぶただ) 演:中村倫也 信長嫡男信長安土移ってからは岐阜城主と岐阜統治任されている。上月城の戦いでは援軍総大将を、松永久秀謀反に際して信貴山城攻め総大将を、甲州征伐では総大将務めた本能寺の変死去織田信孝おだ のぶたか) 演:中山麻聖 信長三男山崎の戦いでは秀吉嫌っていたため増援拒否していたが、官兵衛に説得され明智討伐の総大将として出馬する織田信雄おだ のぶかつ) 演:小堺翔太 信長次男秀吉対抗すべく家康を頼る。 三法師さんぼうし) 信忠嫡男

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