織田側の編成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 15:08 UTC 版)
天正元年(1573年)以降、織田信忠を筆頭に池田恒興、森長可、河尻秀隆らを主力とするいわゆる「信忠軍団」が編成されており(池田は後に軍団を離脱、摂津へ)、主に東美濃に勢力を張っていた武田の影響を排除する戦いをしていた。武田征伐時には以下のような陣容であった。 大将:織田信忠 先鋒:森長可、団忠正、木曾義昌、遠山友忠 本隊:河尻秀隆、毛利長秀、水野守隆、水野忠重 付属:織田長益他織田一門衆、丹羽氏次他 軍監:滝川一益 この出陣に当たり、信長は「今回は遠征なので連れていく兵数を少なくし、出陣中に兵糧が尽きないようにしなければならない。ただし人数が多く見えるように奮闘せよ」と書状を出している。さらには明智光秀らが朝廷に働きかけ正親町天皇から「東夷武田を討て」との命を出させたことで大義名分を得た出陣であった。 また、後から続く信長直率の軍団は以下のような陣容であった。ルイス・フロイスの『日本史』には、この信長本隊は兵6万を率いる予定だったと書かれている。 信長 明智光秀、細川忠興、筒井順慶、丹羽長秀、堀秀政、長谷川秀一、蒲生賦秀、高山右近、中川清秀他
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