織田への反抗
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 06:55 UTC 版)
長島に亡命した龍興は、元亀元年(1570年)に始まる長島一向一揆に長井道利と共に参加し、信長に対する抵抗活動は継続した。その後伊勢から畿内へ移り、永禄12年(1569年)1月には三好三人衆と結託し、信長が擁立した室町幕府第15代将軍・足利義昭を攻め殺そうとしたが、敗退している(本圀寺の変、六条合戦)。更に同じ元亀元年(1570年)8月には、三好康長、安宅信康、十河存保や石山本願寺法主・顕如らとともに三好三人衆の籠城を支援(野田城・福島城の戦い)。信長が朝倉義景、浅井長政に後背を脅かされ、退却するまで持ちこたえた。
※この「織田への反抗」の解説は、「斎藤龍興」の解説の一部です。
「織田への反抗」を含む「斎藤龍興」の記事については、「斎藤龍興」の概要を参照ください。
- 織田への反抗のページへのリンク