織田一門の中での立場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 01:15 UTC 版)
天正9年(1581年)の京都御馬揃えでは、織田信忠80騎、織田信雄30騎に続いて、信包が10騎を率いている(次いで織田信孝の10騎)。また、「信長公記」において織田一門の名が連なる場合、信包は必ず信雄と信孝の間に入っており、実質的に一門の序列3番目の地位に位置していたものと推測されている。信包以外で早世していなかった信長の弟には長益、長利、信照がいるが、彼らは信孝に続く津田信澄(信長の同母弟である信行の遺子)よりさらに下の地位に過ぎず、信包は信長の兄弟の中でも別格の地位であったことが窺える。
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