安城城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 09:51 UTC 版)
安城城は、西三河を流れる矢作川西岸の碧海台地東部にある舌状台地の先端に位置する平山城である。碧海台地周辺(特に南部)は安城ヶ原と言われ、明治時代以前は雑木林が生い茂り、湿地や沼などが点在する荒地だった。安城城の付近も例に漏れず、城は周囲を雑木林と湿地に囲まれていたため森城(もりじょう)とも呼ばれた。 その地勢により、安城城は小城といえど守りやすく攻め難い城であり、三河国岩津城(岡崎市岩津町)主松平信光が文明3年(1471年)に計略をもってこの城を落とすと、大永4年(1524年)に清康が本拠を岡崎城に移すまでの4代50余年に渡り、その拠点となっていた。このため碧海郡(水野氏の勢力下にあった刈谷周辺や江戸時代以前は幡豆郡であった大浜を除く)に点在する松平氏の諸城を統率する機能を持つと共に、本城となった岡崎城防衛の前進基地にもなっており、松平氏にとって失ってはならない城だった(事実、安城城の失陥後に小豆坂の戦いが発生している)。また織田氏にとっては尾張国に今川の力が及ばぬよう今川氏の三河領有を阻止する足がかりとなり、そして今川氏にとっては、三河を我が物とするため、織田氏に保持され続けることは容認できなかった。そのため、広忠の死後この戦いに本格介入することになる。
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