織田信秀による岡崎城攻落説
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「安城合戦」の記事における「織田信秀による岡崎城攻落説」の解説
天文16年の情勢については、岡崎城が上和田・大平・岡・筒張等の諸城砦に包囲される状態に置かれたのみに留まらず、同年9月、信秀によって陥落せしめられたとする説が示されている。この関連から竹千代が織田氏の人質となった経緯についても、略取された末のものでなく、岡崎城の降伏に際して広忠みずから織田氏へ引き渡したとする見方もある。 ただし、以降の広忠の立ち位置については、同月28日の渡河原の戦いや、これと前後して起きたとみられる松平忠倫暗殺などの事象から、信秀が三河を後にした直後、広忠が再び反織田の旗幟を鮮明にしたともみなせるが、翌天文17年3月の小豆坂の戦いにおいて、岡崎衆自体の参加は認められるものの、上和田を経由して安城へ退く織田勢に対して岡崎城から何らの行動がおこされた形跡がみられないことから、広忠は同合戦での今川勢の戦勝をうけて今川方に復帰した可能性もあるとみられている。この場合、今川勢に与した岡崎衆とは織田への屈伏を潔しとせず今川方を頼った者たちであるとされる。 同年4月、山崎城の松平信孝は信秀の許しを得て、独力で岡崎城を落とすために出陣した。しかし、額田郡明大寺の耳取縄手における野戦で、矢を射掛けられ討死する(耳取縄手の戦い)。 もとより信孝の追放は広忠が積極的に行ったものでなく、反信孝派の重臣たちによって主導されたものであった。広忠としては、信孝が織田氏を頼り敵対する結果に至ったのには自らにも原因があると考えており、叔父である信孝の生け捕りを望んでいたが、意に反して信孝は討死してしまった。信孝の遺骸を見た広忠は、肉親を追放したうえ討ち取ったことの無慈悲さを家臣たちに訴え、号泣したという。信孝と忠倫が排除されたことによって、広忠は、同年中に織田方に下っていた梅坪城を攻略するなど勢力を盛り返しつつあり、分裂した一族を再結集させようとするが、翌天文18年(1549年)3月、岡崎城内にて死去する(広忠の死没に関しては、暗殺説と病死説がある。暗殺説に関しては岩松八弥を参照)。 この報を受けた義元の動きは素早く、無主となった岡崎城を接収し、同月中に太原雪斎を将とする1万の軍勢(松平勢を含む)を三河へ出陣させた。雪斎は先ず軍勢の一部を岡崎城に入れたうえで尾張からの援路を遮断するため、鳴海・大高方面にも軍を派遣、さらに山崎城など周辺の城砦を攻略して(松平忠倫の死後、佐々木松平家を継いだ弟の忠就は、今川方の動きをうけ愛知郡梅森など尾張国内の知行を放棄して今川氏に臣従した)、安城城(兵数不明)を孤立させた後、松平勢が先鋒となり城の北側より攻撃を仕掛けた。松平勢の奮戦によって、三の丸、二の丸を次々に落とし本丸に迫ったが、城将織田信広を捕縛しようと焦る余り、松平勢の主将本多忠高(本多忠勝の父)が深入りしすぎ討死してしまう。このため松平勢が動揺し、雪斎は攻撃継続を不可能と判断、全軍を岡崎まで撤退させた。 そして同年9月に雪斎は再度出陣する。このとき雪斎は、荒川義広の拠点であった幡豆郡荒川山(現在の西尾市八ツ面山)に布陣した(当時の矢作川の川筋は矢作古川であり、現在の流路は矢作古川の排水不良に伴い、江戸時代初期に開削されたものである。ゆえに当時、荒川山から安祥城までは地続きであった)。同月下旬、今川・松平勢は手始めに織田氏と協調してその軍勢に加担していた幡豆郡東条吉良氏の西条城を攻略した(城主吉良義安は今川氏数代の敵であった尾張守護斯波氏と縁嫁を結んでおり、これを義元に咎められたが、落城後降伏し、親織田派の家臣を処断。義元に許された)。今川・松平勢は翌10月には碧海郡桜井まで進撃し、南方から安城城へ迫る今川・松平勢に対して織田方は、平手政秀を将とする援軍(兵数不明)を派遣し頑強に抵抗するものの、今川・松平勢の猛攻により11月中に安城城は陥落、城主信広は捕縛された。この際、今川勢は火縄銃を効果的に利用したとされる。 安城城落城後、同月中には、再び織田氏に与していた上野城が今川勢の手に落ち、翌年には刈谷城も今川氏へ下るなど、碧海郡やその周辺における織田方の勢力は総崩の様相を呈し、碧海郡における拠点としては尾張国境にほど近い重原城を辛くも維持するに留まった。これによって織田信秀による三河領国化の野望は潰えることになる。 補足:天文18年の戦いについては、3月と11月の戦いをまとめて数える場合と、各々を別個の戦いとして数える場合がある。
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