松平忠倫
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 18:26 UTC 版)
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
生誕 | 明暦3年(1657年) |
死没 | 享保3年8月20日(1718年9月14日) |
官位 | 従五位下右京亮 |
藩 | 肥前島原藩世嗣 |
氏族 | 深溝松平家 |
父母 | 松平忠房 |
兄弟 | 好房、忠倫 |
妻 | 本多忠義娘 |
松平 忠倫(まつだいら ただみち・ただとも)は、江戸時代前期の肥前国島原藩の世嗣。官位は従五位下・右京亮。
略歴
兄・好房が早世したため嫡子となる。延宝2年(1674年)徳川家綱に御目見し叙任するが、不行跡のため貞享3年(1686年)に廃嫡された。
松平忠倫(まつだいら ただとも)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 00:27 UTC 版)
「センゴク外伝 桶狭間戦記」の記事における「松平忠倫(まつだいら ただとも)」の解説
松平一門の武将。織田信秀に賄賂を受け、当主である松平広忠に織田家への寝返りを献策する。それが叶わないと知ると信秀の支援を受けて広忠に謀反を起こした。
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