本多忠寄とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 本多忠寄の意味・解説 

本多忠寄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/08 07:15 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
本多忠寄
時代 江戸時代前期
生誕 寛文2年(1662年
死没 元禄3年11月23日1690年12月23日
別名 千之助、一学(通称
戒名 済誉知広英往生徳院
墓所 奈良県奈良市の王龍寺
陸奥石川藩世嗣→三河挙母藩世嗣
氏族 本多氏(平八郎家)
父母 本多忠義
本多忠利
兄弟 忠平忠利忠以忠晴忠周忠常
忠寄、清性院、井上正任正室、
金森頼直正室、心涼院、清殊院、
石川総良側室、勢幾、松平忠倫正室
テンプレートを表示

本多 忠寄(ほんだ ただより)は、江戸時代前期の陸奥国石川藩三河国挙母藩の世嗣。通称は千之助、一学。

略歴

本多忠義の七男として誕生。

嫡子のなかった兄・忠利の養子となり、延宝4年(1676年徳川家綱御目見する。しかし、家督を相続することなく元禄3年(1690年)に29歳で没した。代わって、忠次長府藩主・毛利綱元の次男)が忠利の婿養子に迎えられ、嫡子となった。

法名は済誉知広英往生徳院(濟譽知廣英往生徳院)。墓所は奈良県奈良市の王龍寺。




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「本多忠寄」の関連用語

本多忠寄のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



本多忠寄のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの本多忠寄 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS