城郭他
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 15:02 UTC 版)
舌状台地の先端に位置し周囲を森と深田に囲まれていて、その内側に土塁や堀があり、天守を持たない平山城だった。室町時代中期に築城され、織田氏、今川氏、松平氏との間で激しい戦闘が繰り広げられた。『岡崎領主古記』に安祥森城、『三河国二葉松』に安條古城・云城森、という記載があるが、徳川の同時代史料(『家忠日記』や大久保の『三河物語』)には、別名の森城なる記載はない。『寛政重脩諸家譜』では安城城とある。 徳川最古参の三河安祥之七御普代の発祥の地でもある。三河安祥之七御普代とは、酒井左衛門尉・大久保・本多・阿部・石川・青山・植村、または酒井・大久保・本多・大須賀・榊原・平岩・植村を指す(『柳営秘鑑』)。 『信長公記』に「三川の内あん城と云ふ城」と記載される。織田氏が保有していた時代には三河進出の牙城となった。 現在は、地表上では碑・塚・切岸・堀・一部曲輪などが残るだけである。本丸跡は1792年(寛政4年)以降、大乗寺(了雲院)境内となっているが、1988年(昭和63年)から数回の発掘調査が行われ、境内地下にも戦国時代の遺構が残っていることが判明している。二の丸は八幡社、三の丸は大乗寺の裏手あたり。
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