城郭建築保存運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 06:14 UTC 版)
廃城令で約190あった城のうち43が破却された。軍の施設や公共施設を設置するために不要な建物や老朽化の進んだ建物、維持が困難となった建物は撤去されていったが、名古屋城や姫路城に代表される一部の城郭建築について保存運動が行われ、参議であった大隈重信に対して町田久成、世古延世によって『名古屋城等保存ノ儀』が進言されたのに加えて、1874年、彦根城天守について明治天皇に対して大隈重信や二条斉敬の妹(皇后の従妹)などによる彦根城保存の上申や陳情があり、天皇の命によって解体から一転して保存されることとなった。さらに、1878年、日本陸軍大佐の中村重遠が当時陸軍卿だった山縣有朋に対して名古屋城と姫路城の保存を進言した。1879年、陸軍予算による両城の保存修繕が加えられることが決定し、正式に国によって保存されることとなった。
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