『岡崎領主古記』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 23:48 UTC 版)
『岡崎領主古記』は岡崎城領主についての年代記で、現存最古の写本は寛政10年(1798年)。それまでの記録と決定的に違っているのが、家康の父の広忠が、縁側でお灸をしているところに、佐久間なる人物からの密命を受けた片目「弥八」(八弥ではない)なる人物に暗殺されることである。ただし、犯行の凶器が村正であるかどうかは記されていない。 本記事の他の史料『三河物語』『松平記』『三河後風土記』『改正三河後風土記』『御実記』に加え、『武徳大成記』でも家康の父の死因を殺害とはしていない。謀叛による暗殺説は『岡崎領主古記』等の一部の説である。
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