国内統治
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 20:43 UTC 版)
「イネ (ウェセックス王)」の記事における「国内統治」の解説
イネの統治で見られる事はまずエアルドルマンの官職があり、それがウェセックスの各州に配置された事が挙げられる。無論従来のウェセックス国内の慣習が影響を及ぼしてはいると考えうるものの、イネの時代になって現在のハンプシャー、ウィルトシャー、サマーセット、デヴォン、ドーセットに行政区分された可能性がある。またこのような区分けがウェセックスの各州に王族の一員が赴任され始めた事から始まった事から発している可能性も指摘されている。 710年、イネの統治の中期に相当する時期、交易の中心地としてアイチェン川西岸(現在ではサウザンプトンの一部区域)にハムウィッチ(Hamwic)が建設された。この地でガラスの器、動物の骨が見つけられている事から積極的な交易があった事が示唆されている。さらには輸入された品にはひき臼の石、砥石、焼き物が見受けられ、当時の貨幣の中にはフリジア人の中で流通していた貨幣も含まれていた。町の交易品の中には布地作り、鍛冶、金細工など専門技術を要する加工品も活動していた。イネがこのハムウィッチから取り分をもらっていたかは分かっていないが、彼自身が興味を示したもの、例えば奢侈品などはここから輸入されており、恐らくはそれを扱う商人たちは王族の保護を受けていたものと思われている。ハムウィッチの人口は5,000人と推測され、これだけの人数をまかなう食料と住居を手配できるのはこの時代には王以外はあり得ない事から、イネが関与していたものと考えられている。 700年ほどからの交易の拡大はちょうどこの地域の通貨流通がテムズ渓谷上流へと拡大した時期と重なる。最初に西サクソン人の間で貨幣が造幣されたのはイネの治世においてと考えられている。しかしながらこの当時の通貨には治めている王は記されてはおらず、彼の名前を刻印したものは発見されてはいない。
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